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ヒーラー(26)

「ともかく洋子さんが無事で、安心したわ」と、ミョンヒが言うと、野上の裏切りが思い出されて憤懣やるかたない思いで、
「野上に裏切られたわ」とミョンヒに憎憎しげに言った。
「野上はあなたを裏切ったりしないわ。後ろを見て!」と言うので後ろを見ると野上が笑顔で立っていた。
私は何が何だかわからなくなって、。
「じゃあ、どうして、キムの部下に捕まったのかしら?」と、独り言のようにつぶやくと、
私の疑問に野上が答えてくれた。
「洋子さん、リー医師に対して随分失礼なことをしたでしょ?だからリー医師が怒って、私たちが病院を出た後、警察に通報したのよ」
私はリー医師に枕を投げつけたときのことを思い出した。その時のリー医師の怒りで真っ赤になった顔を思い出した。
「そうだったの。私はてっきりあなたが密告したのだと思ったわ。ごめんなさいね」
野上に悪いことをしたと思い、しょげかえって謝ると、野上は
「いえ、いいんですよ」と、笑顔を崩さずに言った。
気が落ち着くと、部屋に私を救い出してくれた男の姿を認め、
「ああ、あなたはミョンヒから送られた人だったのね。助けてくださってありがとう」と、改めて頭を下げてお礼を言った。
「ミョンヒから泣き付かれてね」とその男は苦笑いしながら言った。
ミョンヒは
「野上からあなたが連れ去られたと連絡があって、動転したのよ。それで、私が頼れる人のことを思い出したってわけ」
そういわれて、いつか私が麻袋に入って輸送される途中、もう少しでキム側に見つかりそうだったとき、銃を空に撃って助けてくれたミョンヒの従兄弟のことを思い出した。
「僕はミョンヒの従兄弟のリー・ソンジュです」と言って頭を下げて挨拶をした。
「私は洋子・ウォーカーです」と言うと
「知っています。ミョンヒの命を救ってくださって、ありがとう。今度は僕達があなたを救う番ですよ」とミョンヒの顔をいとおしげに横目で見ながら言った。ソンジュはミョンヒに首っ丈なのはすぐに分かった。
そうしている間に、野上は気を利かして、お茶を入れてくれた。
ベッドの上に座った私を取り囲むようにして、ミョンヒ、ソンジュ、野上が椅子に座り、野上がいれてくれたお茶を皆で飲みながら、これからの作戦を練ることにした。
「もう一人殺してしまったから、空港に戻るのは危険だ。空が駄目なら、海か陸だが、僕は船で日本に渡るのが一番だと思う」
軍の上層部の人間だけあって、ソンジュは積極的に計画を練って、皆の意見を聞いた。
ミョンヒはすぐに賛成したが、私は北朝鮮の事情を全く知らないので、黙って聞いていた。
「それでは、船を確保しなければいけないな」とソンジュは、何かを考える時の癖のように、右手であごを撫ぜながらいった。
「その役は私がやります」と野上がすかさず言った。
「私は実は日本海沿岸にある小さな漁村の出身なのです。生まれ故郷で、信頼できそうな人に頼んで船を譲り受けてもらいます」
「それは、いい。それじゃあ船の確保は野上に任せるとして、洋子をどうやってその村まで連れて行くかが問題だな」
「もう、麻袋に入るのも、スーツケースに入れられるのも、御免です」
私は、また何かに入れられたらたまらないと思い、誰かが何か提案する前に口をはさんだ。
皆の間で始めて笑いがおこった。
「洋子さんの整形手術後の顔写真が出回っていたら、顔を隠すことから考えないといけないけれど、どうなのかしら」
そうだ。手術で人に目立たない顔になっているのならいいが、こんな醜い顔では目立ちすぎだ。
野上が私の手術後の状況を思い出しながら言った。
「それはないと思います。包帯を取った後、リー医師は一度も病室に顔を見せませんでしたから、手術後の写真は持っていないと思います」
「じゃあ、どうしてキムの部下たちは私のことが分かったのかしら?出国手続きの係官は私のパスポートを見て変な顔をしたのよ。パスポートに何か不備なことがあったんはないかしら」
「そういえば、そうですね。これは私の想像ですが、リー医師は、私たちが空港に向かったことを知っていましたから、今日の飛行機に乗ることは予想できたと思います。それに、リー医師は洋子さんに私が同伴しているのを知っていましたから、それを警察に密告すれば、私が野上の名前だと分かっていますから、それで割り出して我々の乗る飛行機を特定し、その乗客名簿を調べて怪しげな人間だとして、待ち構えていたのではないでしょうか」
「なるほど。そうとしか考えられないわね」私は野上の推理に感嘆して大きくうなずいた。
「でも、もう一人のキムの部下が私の顔を見ているわね。そうすると、やはり大手を振って歩くわけにはいかないのね」私はしょんぼりとしていった。これからどうなるのかと思うと、不安が入道雲のようにむくむく心にふくれあがっていった。

著作権所有者:久保田満里子
 

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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