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隣人の死(後編)

~~事件が起こって1週間後、また夜勤明けで家に帰る途中、2軒先の家から、ジョージが警官に囲まれて出てくるのを見たとき、私はハッと息を飲み込んだ。ジョージにすがりながらシャロンが必死に何か言っている様子が車から見えた。
「ジョージが犯人だったのね。アロンではなかったんだ」と思うと、安堵で思わず顔がほころんだ。しかし、すぐにその安堵は悲しみに変わった。
「かわいそうなシャロン」
私は、シャロンの嘆きを思うと、喜んでばかりはいられなかった。
警察がジョージを連れ去ったあと、呆然とただずんでいるシャロンの肩を、私は後ろから抱いた。
「大丈夫?」
そう言うと、振り返ったシャロンは疲れきった顔をして、
「どうしてなの?どうして、ジョージがあの二人を殺さなければいけなかったの?」と私に聞いた。親のシャロンでさえ分からないのなら、私に分かるはずがない。
私は悲しげに首を横に振った。
「私も分からないわ。第一、ジョージが殺したなんて、考えられないわ」
私の答えを聞いたのか聞かなかったのか、突然シャロンは断言するように言った。
「一週間前といえば、ジョージの友達のジョンが来ていたわ。ジョンにそそのかされたに違いないわ」
その顔は、わらにでもしがみつきたい気持ちがみなぎっていた。
ジョンは、ジョージのバンド仲間である。私もジョンが時折ジョージと一緒にいるのを見かけたことがある。しかし、すぐにジョンを犯人扱いにするのは、私にもシャロンが親馬鹿だとしか思えなかった。
「もし、ジョンがかかわっているなら、警察が調べてくれるわよ」と、答えた。
その二日後、黙秘権を行使していたジョージが始めて事件の真相を語ったが、それは私には理解しがたいことであった。
ジョージは、次のように供述したということだ。
「あの日の一週間前くらいから、誰かを殺したいという気持ちにとりつかれたんです。人を殺すって、どんな感覚なのか、どうしても知りたくなったんです。母は、僕が様子が変なのに気づいたようで、心理臨床師に会うようにとすすめてくれたんですが、それを無視しました」
「お母さんは、お前が誰かを殺したがっているって知っていたのか?」
刑事がそう言うと、ジョージは小ばかにしたように刑事を見て、
「まさか、そんなこと言うはずないじゃないですか。僕が物思いにふけっているので、母は心配しただけですよ」
「あの事件の日の、行動を説明してくれ」と、刑事に促されて、ジョージは、ぼつぼつと、次のように語った。
「あの事件の日の夜は僕は友達のジョンとマリファナを吸って、ワインをベロンベロンなるまで飲みました。そこで、酔い醒ましに、二人で真夜中の2時ごろ近所に散歩に出かけました。夜のひんやりした空気に当たると、少し酔いがさめました。うちの近所は公園が多いので、公園を1時間くらい歩いて、3時ごろに家に帰りました。ジョンは、そのあとすぐに、酔いもさめたからと一人で車で帰っていきました。僕は、その後、なかなか眠れなくて、6時ごろには、起きました。誰かを殺したいという衝動が強くなって、眠れなかったのです。誰かと言っても、若者より年寄りのほうがいいと思いました。年寄りは長く生きていたわけですから、殺しても構わないように思いました。そして、殺すなら、いつも、僕のバンドの練習に文句を言ってくるアーサーがいいと思いました。思い立ったら、すぐに実行にうつしたくなって、家の台所からナイフを隠し持って手袋をして、隣に行って、ドアをノックしたんです。でも、誰も出てこなかったので、もう一度ノックしてしばらく待ちましたが、それでも誰も出てこないので、その日はあきらめたほうがいいと思い、帰りかけたところ、ドアが開いて、パジャマ姿のビビアンが出てきました。
『ジョージじゃないの。どうしたの?こんなに朝早く?』
ビビアンは、僕に対する警戒心は全くなさそうでした。
僕はとっさにでまかせを言いました。
「うちの母が倒れたんです。救急車を呼ぼうと思ったら電話が壊れていて使えないので、お宅の電話を使わせてもらえませんか?」
そう言うと、ビビアンは心配顔になって、
「まあ、それは大変、すぐに家に入って。電話機は、応接間にあるから、応接間の電話を使って」と僕を招じ入れました。
僕は、
「すみません」といいながら彼女について応接間まで行きました。
「この電話を使って」と言って、ビビアンが僕のほうを振り向いたとき、僕は持っていたナイフでビビアンの胸を思い切り力をこめて刺しました。
「あっ!」
とビビアンが叫んで倒れるところをめった突きにしました。僕の手はビビアンの胸から流れる血でべっとりと濡れました。その時、人を殺すってこういうものかと僕は恍惚としました。すると後ろで、
「何をしているんだ!」と悲鳴に近い声がしたので振り向くと、アーサーが血相を変えて僕にとびついてきました。僕は持っていたナイフで、アーサーの胸を刺しました。アーサーは
「うっ!」と声を上げて前に倒れましたが、僕のナイフを握り締めて、その手を離しませんでした。だから、ぼくは、アーサーを蹴って上向きにすると、アーサーの体にまたがって、ナイフをとりあげ、何度もナイフをアーサーの胸に突き下ろしました。その時は無我夢中でした。何度刺したのか、憶えていません。気がついたときは、ぐったりとなったアーサーが横たわり、アーサーの倒れたところのじゅうたんに血が流れ始めました。履いている靴に血がつくと面倒なことになると思って、すぐにその場を離れました。死体の発見が遅れたほうがいいと思って、玄関のドアは閉めました。そしてうちに帰って、すぐに返り血をあびた服をごみ箱に捨てました」

事件の全容が明らかになった日、私は興奮気味に、家に帰ったアロンに、
「ジョージったら、ただ人を殺した感触を知りたかったからビビアンとアーサーを殺したって言うのよ。信じられないわ」と言ったが、
「へえ」とアロンがたいして驚かなかったのは、私を不安に陥れた。

日本でも、最近よく人間を殺した感触を知りたかったと、自分と全くかかわりのない人を殺した若者のニュースを聞くが、オーストラリアで聞いたのは、初めてだった。その犯人が私の顔見知りの青年だったことを思うと、背筋に悪寒が走った。きっと日本だったら、世間は、親の教育が悪いなどと、シャロンを白い目で見ることだろう。でも、私の知っている限り、シャロンは、私と変わらない、子供思いの母親だ。一体、どうしてジョージがそんな人間になってしまったのかと思うと、暗澹たる気持ちになった。
半年後、ジョージは32年の刑を言い渡された。刑を言い渡された時の能面のように無表情なジョージの顔は、泣きじゃくるシャロンの顔とは、余りにも対照的であった。

注:メルボルン郊外で起こった殺人事件をヒントにして書いたフィクションです。登場人物は全員架空の人物です。
参考文献:
The Age “Murderer killed couple at home for a thrill” Tuesday October 14, 2014, page 10
The Age “ Killer of couple jailed for 32 years” 25 October,2014, page 22


著作権所有者:久保田満里子

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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