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百済の王子(11)

~~第三章 出会い
額田王が、庭を眺めながら、書きかけの短歌の推敲をしていると、家の門番をしていた下男が、額田の前にひざまづき、
「大海人皇子様がお見えです」と、告げた。それを聞くと、額田の顔はぱっと輝き、
「すぐに客間にお通しせよ。私もすぐに参る」と門番に言う声も終わらぬうちに、大きな声で、額田王に話しかける男の声がした。
「額田。久方ぶりだな」
額田が声の主を見て、
「まあ、皇子様。客室でお待ちいただければよろしゅうございますのに」と、言うと、その男は
「客人扱いされる仲でもなかろう」と、笑みを浮かべた 。
大海人皇子のその言葉を聞くと、少し額田の顔が赤みを帯び、恥らうようなしぐさを見せた。そして、大海人皇子の後ろに立っている 豊璋に気づいて、
「お客人でございますか?」と聞いた。
「この方は百済の王子の豊璋殿だ」と、 豊璋を紹介した。
 豊璋は、額田王を見て、蝦夷の言った言葉を思い出した。確か皇極天皇の女官で、短歌の才能溢れる美人だと言ったが、確かに色も白く、うりざね顔で美しい女性だと思った。大海人皇子が首っ丈なのも無理はない。
 豊璋と大海人皇子は、額田王の客間に案内され、腰を落ち着けた。
一応の挨拶がすむと、大海人皇子が、
「最近何か変わったことはなかったか?」と聞くと、額田王はニッコリ笑って、
「変わったことといえば、不思議な女子に会い、下女にしました」と言った。
「不思議な女子とは?」
「一月ほど前、道を歩いていたときに出くわした者でございますが、身なりといい、持っている物と言い、話し方など、異国のものと思われますが、どこから来たのか、とんと見当がつきませぬ」
「ほう、面白そうじゃな。是非我もその者をみてみたいものだ。なあ、 豊璋殿?」と言うので、 豊璋も大海人皇子に合わせて
「ええ。是非見てみたいものでございます」と言うので、額田王はそばにいた下女にセーラを部屋の前庭に連れてくるように言った。

その頃、セーラは、飯炊きの準備をしていた。ここには、屋敷の下働きの者、10名が寝泊りしている。その10人分のご飯を炊くことがセーラの仕事になっていた。主人の額田王の食事のしたくは、お香の役目だった。セーラはこの世界に迷い込むまで、ご飯は炊飯器でしか、炊いたことがなかった。だから、火の起こし方、飯の炊き方から、全部自分より年下のお里から、教えてもらった。へまをしでかすと物覚えが悪いと、お香に殴られることもあり、奴婢は、動物並みの扱いしかうけないことを身にしみて感じた。初めて殴られたときには、余りにもショックで、殴られた頬の痛みより、自尊心を傷つけられたことの衝撃が強かった。悔し涙がポタポタと落ちたことを今でも覚えている。年下のお里に色々教えてもらうことにもプライドが傷ついたが、文明人と思っていた自分は、文明の利器を使うことはできても、実際生活で生きていくうえで必要なことは何一つできないことに気づいて愕然とした。お里は今まで一番下の召使だったのだが、新米のセーラが入ったことに気をよくして姉さん気取りをすることはあっても、根は優しい子だった。この一ヶ月、セーラが不自由な生活に辛抱できたのは、人のよいお里がいたせいかもしれない。お香に殴られた後、よくお里に慰められたものだ。お里もお香に殴られることがよくあったが、大して気にしていないように見えた。いちいち傷ついていては、生きてはいけないからだろう。
セーラは、かまどの火を起こすために、炭の上に枝を置き、竹でできた筒に息を思い切り吹き込んだら、余りにも勢いがつきすぎて、かまどの灰が舞い上がって、セーラの目と鼻をおおい、セーラはむせ返った。その時、お香が、「ソラ、額田王様がお前をお呼びだ。外で従者の八兵衛様がお待ちだから、八兵衛様について行くがよい」と言った後、お里に、「飯炊きは、お前がするんだよ」と、お里に命じた。お里は不満そうな顔をして、セーラを見送った。
セーラが、八兵衛の後についていくと、以前額田から尋問を受けた前庭に連れて行かれた。
庭の真ん中に座らせられたセーラが、平伏していると、
「面をあげよ」と、額田の声がした。
顔をあげて、座敷のほうを見ると、額田の横に、知らない男が二人座っていた。
年の若いほうの男は、堂々とした態度で座っているのに対して、年上と見える男は少し緊張しているかのように見えた。
二人の男は、セーラの顔を見て、感嘆の声をあげた。
若い方の男がセーラに声をかけた。
「確かに、髪の色といい、姿かたちが異国まがいだな。そなた、名はなんと申す」
「セーラと申します」と、セーラがそう答えると、
「余り聞きなれぬ名なので、私達はソラと呼んでおります」と、横から額田が口をはさんだ。
すこしとげのささった言い方は、二人の男が、セーラに大いに関心を示したことが気に食わないためだと、セーラは思った。
続いて、若い男は質問をした。
「どこの国から来た?」
そう聞かれて、セーラはすぐに頭を回転させ始めた。額田王に言ったことと矛盾することを言えば、うそがばれてしまう。
『ええっと。なんて答えたんだって?そうそう、オーストラリアって答えたんだっけ』と、昔の記憶を手繰り寄せて、
「オーストラリアという国でございます」と答えた。
「初めて聞く国だが、それは、唐の国より遠いのか?」
『唐の国?それって、どの国のこと?』
セーラは頭をフル回転させるが、どの国のことを言っているのか見当もつかない。しかしオーストラリアは長い間他の国には知られていなかったはずだから、その唐という国よりも遠いと答えたほうが無難だろう。そう判断して答えた。
「はい、唐よりも遠い国です」
「そうか」と若い男はセーラに言うと、すぐに何かを思い出したように、もう一人の男に向かって、
「豊璋殿、オーストラリアなる国、お聞きになったことはありますか?」と、聞いた。
「聞いたことがありません」
セーラはなんて透き通った美しい声の持ち主だろうと、その豊璋と呼ばれた男を見た。日焼けした顔でたくましそうに見えるその男は物静かで、陽気な感じの大海人皇子とは対照的であった。

著作権所有者:久保田満里子

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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