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透明人間(最終回)

里香はスコットが3ヶ月も戻ってこないのなら、その間日本に帰ろうと、スコットの給料が振り込まれると、すぐに日本への航空券を予約した。スコットには連絡する方法がないので、黙って帰ることになるが、日本には1ヶ月しかいないつもりなので、スコットが帰ってくるときには、メルボルンにいるわけだから、いちいち知らせる必要はないだろうと思った。

里香が日本に帰る日、スーツケースをひっぱって戸口に立ったとき、玄関の呼び鈴がなった。ドアの穴からのぞいてみると、なんとスコットが立っている。3ヶ月帰ってこないといっていたのに、2週間も経っていない。それに、スコットが見えるということは、スコットがもはや透明人間ではないことを意味している。何が起こったのだろう?里香ははやる心を抑えて、玄関のドアを開けた。

ドアを開けたとたん、「はっくしょん!」とスコットが大きな咳をした。

「どうしたの。スコット?風邪でも引いたの?」

スコットは熱もあるようで、顔も赤い。

「うん。ひどい目にあったよ」

「もう、透明人間じゃなくなったのね」

「そうなんだ。詳しいことは後で話すから、中に入れてくれないかな」と言う。

里香が戸口にたちはだかっていたので、スコットは家の中に入れなかったのだ。

あわてて、体をよけてスコットを家の中に入れると、スコットはヨロヨロとなった。

「気分が悪いのね」と里香はスコットの体を支えるようにして、ベッドルームに連れて行き、服を着たままのスコットをベッドに横たえさせた。スコットの体を触ると、熱い。かなりの熱があるようだ。それに今目の前にいるスコットは透明人間ではない。一体、スコットに何が起こったのだろう。

里香は不安な気持ちでスコットに熱さましの薬を飲ませたりして、看病を続けた。薬を飲んだ後、スコットはすごいいびきをかきながら、眠りに陥った。

スコットが目を覚ましたのは、翌日の昼過ぎだった。疲れ果てていたようだ。

「一体、何があったの?」

気がせく思いで聞く里香に、スコットはうつろな眼をしながら、この一ヶ月の間何が起こったのかを思い出すように、ゆっくりと話し始めた。

「ASIOでは、普通は6ヶ月かけて新人の研修をするんだそうだけれど、僕が人事部長に直接会って話をし、服を脱いで透明なことを見せると驚いちゃって、今スパイが足りなくて困っているところだから、ちょうどいいということになってね、北朝鮮に送られることになったんだ」

「北朝鮮!」

「そう。なんとなく不気味なところだろ?最近北朝鮮ではキム・ジョンウンが弾道ミサイルを盛んに飛ばすし、核兵器の製造も着々とすすんでいるみたいだろ?だから北朝鮮の核兵器に関する情報集めの任務を与えられたんだ。核兵器が開発されたら真っ先にやられるのは日本だろ?僕も里香の日本の家族のためにも頑張ろうと思って意気揚々と北朝鮮に行ったんだ」

「あなたの気持ちは嬉しいけれど、でも、あなた、韓国語も分からないのに、スパイ活動なんてできるの?」

「それはさ、僕が透明になるのは、表面からで、内部は透明でないから、小さな盗聴器を握って、北朝鮮に乗り込むことになったんだよ」

「それで?」

「韓国とオーストラリアは友好関係にあるから、韓国側から国境を渡って北朝鮮に入ったんだ。そこまでは、よかったんだけれどね、北朝鮮は冬の寒い時期で氷点下10度だったんだよ。服も着ずにだよ。寒いのなんのって、凍え死にするんじゃないかと思ったら、ひどい咳が出始め、すぐに僕の存在はばればれになってさ、機関銃で撃たれながら、必死の思いで韓国にもどったってわけさ。すると、韓国側に逃げ込んだところで大熱を出して、倒れてしまい気を失ったんだ」

「それじゃあ、?あなたは透明人間だったのだから、誰もあなたを助けられなかったんじゃないの」

「それが、熱がでたとたん、その熱で体についていた氷が溶けるように、見えるようになったんだよ。それで、国境に警備に立っていた兵士にオーストラリア大使館に連絡してもらって、ほうほうの態で逃げ帰ったってわけさ」

里香はその話を聞くと、なんとも奇妙な気持ちになった。スコットが帰ってきてくれたのは嬉しい。だけど、スコットが透明人間でなくなったことは嬉しいような、悲しいような複雑な思いだった。

 スコットは、それでも里香のほうを見てにっこり笑った。

「これで、僕たち元通りの生活に戻れるね」

ほっとしたようなスコットの顔を見て、里香も

「そうね、これでまた元通りの生活に戻れるね」とスコットの言葉を繰り返していた。

 

スコットが風邪が治ったあと、元勤めていた学校の校長に事情を話したら、数学の教師は人手不足だそうで、すぐに復職することができた。ラッキーというほかない。里香にも平凡な日々がよみがえってきた。里香にはスコットが透明人間になったときの高揚した気持ちはなくなったけれど、平凡なことがいかにありがたいことかと、つくづく感じるこの頃である。

著作権所有者:久保田満里子

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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