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行方不明(3)

第一章 トニーの失踪

2006年

 静子はさっきから何度も柱時計に目をやっていた。もう9時になっている。不安の波がだんだん胸の中を広がって行く。夫のトニーが連絡もなく遅くなること等、結婚以来ないことだった。携帯に何度も電話を入れたが、「今電話に出られません。メッセージを残してください」との決まり文句だけが戻ってくる。

 静子がトニーと会ったのは、去年のことだった。去年、トニーは日本で英語学校の講師として英語を教えていた。静子はその頃、旅行代理店に勤めていたが、勤め始めて3年目にもなると仕事もマンネリ化してきて、毎日の生活に物足りなさを感じていた。何かもっと心がワクワクするようなことをしたいと思っていたのだが、何をしたいのかはっきり分からなかった。しかしある日、客に勧めるパンフレットを見ているうちに、外国に留学したいという思いがふっと湧いてきた。それから通勤の行き帰りに見る英語学校の看板に誘われて、英語学校の門をくぐった。その学校の静子のクラスの担当がトニーだった。トニーはベビーファイスで、静子はトニーの大きな青い瞳で見つめられると胸が高鳴った。1ヶ月経った頃、トニーから電子メールが届いて、静子を驚かせた。電子メールのメッセージは日本語で書かれた。そこにはつきあってほしいが、英語学校では生徒との交際を禁じられているので、学校をやめてくれたら個人教授してあげると書かれていた。静子は本気にとっていいものかどうか迷った。いろんな生徒に同じようなメールを出している不良外人なのではないかと言う気もする。それというのも、静子は自分が女として特別魅力があるとは思っていなかったからだ。どちらかと言えば背は低いし、ちょっと太り気味。顔だって十人並みだ。それに、それまでもボーイフレンドと言えるような人もいなかった。静子はトニーが本気であれ悪ふざけをしているのであれ、英語学校に行ってトニーと顔を合わせるのがおっくうになって、次の日の英語のクラスを休んだ。すると、その翌日またメールが入っていた。土曜日の12時半に町田駅で待ち合わせて一緒に昼ご飯を食べないかと言う内容だった。誘いにのったものかどうか、土曜日の朝まで迷いに迷った末、ひとまず、会ってみようと思い、洋服ダンスから自分の一番のお気に入りの紺色に桜の花が描かれているワンピースを出して着た。化粧をした後は、何度も鏡を覗き込んで、自分が少しでも美しく見えるかどうか髪型を直したり、色々なネックレスを首にかけてみて一番服に合うネックレスを探したりして、身だしなみを調えるのに1時間もかけた。

 駅に着いたのは約束の5分前だったが、トニーの姿は見えなかった。幸い春の暖かい日だったので、日に当たりながらトニーが来ないかと駅の改札口をずっと眺めていた。12時40分になっても、トニーの姿は見えなかった。待っている時の時間は10分でも長く感じられる。だんだんと不安になってきた。
静子はやっぱりトニーの誘いは冗談だったのではないかと思い始めた。そんな冗談にのって、のこのこ町田駅まで来た私って馬鹿みたいとも思った。1時まで待って来なかったら、帰ろうと思いつつ腕時計を見ていると、突然後ろから肩を叩かれた。振り返ると、笑顔のトニーが立っていた。英語しか話せないと思っていたトニーが流暢な日本語を話すので、静子は驚いた。オーストラリアの大学で日本語を専攻したのだそうだ。それからトニーとの交際が始まった。トニーは二人でいる時はいつも日本語を使うので、静子は冗談めかしに「あなたは、日本語を練習したいので私と付き合い始めたんじゃないの?」と言うと「そうかもしれないなあ」とトニーは笑いながら答えた。二人は付き合い始めて半年後に結婚した。外国に行きたいと常日頃思っていた静子はトニーにねだって、新婚3ヶ月でトニーの故郷のメルボルンに来た。それが、今年の1月だった。

 トニーに一体何が起こったのだろう。まず心当たりを電話することから始めようと思い立ち、トニーの高校時代からの友人のジョンに電話した。何度目かの呼び鈴の後留守電が回り始めた。まだうちには帰っていないらしい。留守電に電話してほしいとだけメッセージを入れておいた。
次にトニーと親しい会社の同僚のリチャードに電話した。電話には女性が出て来た。リチャードの恋人のケイトだった。
「静子だけど」




次回に続く.....

著作権所有者・久保田満里子

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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