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さようならジョン(3)

仕事が順調にいっていないときのジョンは、部下を叱るつけることも多かったが、奇妙な叱り方で、冗談なのか真面目に言っているのか判断に困ることがあった。

 交渉が思うように進んでいないことがあった時、担当の部下を呼びつけて、

「何とか、取引相手の懐柔を図れ。高級売春婦でも雇って、相手を懐柔させろ」と、言っているのが聞こえた。それを聞いた部下は一瞬たじたじとなり、「女をあてがうというのは、ちょっと…」ともごもご言うと、

「女には興味がない奴なのか?だったら、奴の好みそうな男を探しせ!」と言う。

部下は困った表情で、「いや、僕は奥さんも知っているので、女を世話するというのは、奥さんに悪いので、やりたくないのですが」と言うと、

「ともかく、早く交渉をまとめろ!」と怒鳴って、社長室から追い出してしまった。

怒鳴られた部下は、「ジョンは本気であんなことを言っているのかしら」と首をかしげながら社長室から出てきた。

 働き始めて1か月たった頃、初めてジョンのうちに夕食に招待された。ジョンのうちは高級住宅街にあったが、それほど大きな家ではなかった。もっとも子供がいなくて奥さんと二人暮らしだということだから、二人だけが住むにしては大きな家だった。門から家に続く道は白い小石が敷き詰められ、玄関の戸口まで飛び石があった。石灯籠があって、松が植えられている庭は、私に日本の旧家の庭を思い出させた。玄関に入ると目の前に大きな金色と赤の刺繡の入ったあでやかな模様の打掛が飾られていた。まるで日本に帰ったような錯覚を受けた。家の中に入って驚いたことは、無駄なものが一切置かれておらず、まるで展示用の家のようだったことだ。生活の匂いが感じられないと言ったほうが良いかもしれない。白と黒で統一された家具は、モダンな感じを与えた。案内された客間には、すでに日本の取引先の客も2人いた。

「松本です」

 40歳くらいのサラリーマン風な眼鏡をかけた背広姿の男が、名刺を出しながら言った。もう一人いた30代くらいの男もすぐに

「井上です」と言って、名刺をくれた。

私は、それまであまり使うチャンスがなかった名刺を出し、

「社長秘書の木村紀子です」と言って、二人に渡した。

 ジョンはそばにいた50代くらいの化粧の濃い女性を、「家内のケリーだ。キーコは家内に会うのは初めてだよね」とケリーを紹介してくれた。青い目が印象的なハンサムなジョンと女優を思わせるような美女のケリー。エネルギーの塊のような印象を与える二人は、お似合いの夫婦だなと思った。

 食事はアウトドアでバーベキューだった。ジョンがステーキやソーセージを焼いて、ケリーは彼の助手と言う感があった。この時の会話で、ジョンのことをもっと知ることができた。ジョンもケリーもあけっぴろげだった。

「最初の妻と別れた後、元妻が何をしているか気になって、元妻の住んでいる家を覗き込もうとして、夜梯子を持って行って塀にのぼろうとしたんだけれどね、梯子から転げ落ちて、腰を打ってしまって、ひどい目に遭ったよ」と、話すので、その時初めてケリーとは再婚だと知った。ケリーも

「私は息子がクイーンズランドに住んでいるから、将来、クイーンズランドに住みたいと思っているの」

と、初対面の私に対しても、臆する風もなく言う。こんなことを言うと、お互いが傷つくのではないかと私の方がハラハラしたが、二人ともいつものディナーの会話をしているという感じなのが、私には奇異に思えた。

 肉も焼け、皆で座って食事をしていると、どこからともなく白い小犬があらわれた。可愛い目をしてあいくるしい感じのプードルを、ケリーは抱き上げて、

「この子、リックというのよ。私たちの子供なの」と言うと、ほほずりをし、ジョンはリックの頭を撫ぜた。

 もっぱらジョンのおしゃべりが中心になったこの日の会食で、私は、ジョンが再婚者であること、子供がいないことを知ると同時に、かれの潔癖症を再確認した。

著作権所有者:久保田満里子

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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