すさまじきものは宮仕え(前編)
更新日: 2017-02-26
「いやあ、遅れてごめんごめん」といいながら、私が座っているテーブルの向かい側に隅田は座った。
隅田と私は高校時代の同級生。でも大学は別々だったので、たいして親しくもなかった隅田とは音信不通となっていた。それがメルボルンで再会したのは、2年前だった。隅田は高校時代も英語が堪能だったが、大学卒業後は外務省に入り、外交官の道をたどって、2年前からメルボルンに勤務している。それに対して、私はメルボルンで小さな料理屋を経営している。その私の料理屋に隅田が客として現れ、「あら、まあ!」と言う感じで、再会したのだ。隅田の奥さんは息子の大学受験のために日本に残り単身赴任だったし、私も独身で身軽だったから、月に一回、日本料理店以外のところで一緒に食事をするつきあいが始まった。日本語が分かるお店に行くと、色々世間にしれてはまずいことが、もれてしまうこともあるからだ。しかし世間に知れてまずい事と言うのは、別に私たちの間に秘密の色事があるわけではない。外交官の隅田には、色々公言することができない思いなどがあっても、なかなか愚痴をこぼすところがないので、日本国籍も捨ててしまった私は、気軽に愚痴をこぼせるかっこうの相手として、重宝されているのである。私も隅田と話していると、色々知らない世界の話に、時には感嘆し、時にはくだらないと思ったりして、興味をそそられるのだ。
最初に一緒に食事に行ったとき、ロシアにいたときのことを話してくれた。
「大使館で重要な機密の会議をする時にはね、部屋にテントをはって、盗聴されないようにするんだよ。どこに盗聴器が隠されているかわからないからね。もっとももう10年前のことだから、今では、もっとほかの方法をとっているかもしれないけれどね」と、聞いたときは、スパイ映画の話を聞くようで、ワクワクした。
それから、アフリカにいた時のことも話してくれた。
「アフリカにはどの国にも日本大使館があるわけではないからね、周りの国も管轄に入っていて、一度隣国に出張になったことがあるんだけれど、行きはよいよい、帰りは恐いでね。帰るときひどい目にあったことがあるよ。帰りの飛行機に乗るためのバスに乗って、空港に着くと、バスを降りた乗客がみんな荷物を持って一斉に走り出すんだ。僕は何が起こっているのかわからなかったし、荷物も多かったから、のんびり出発口に行ったら、みんなが走っていた理由がわかったよ。僕が搭乗口についたときは、飛行機は出た後だったんだ。それでは次の便に乗りたいというと、なんと一週間に一便しかでていないというんだ。まさか1週間も何もしないで、その国にとどまるなんてことは考えられなくて、途方に暮れて、上司に電話したんだ。そしたら、上司から、その国の政治家を知っているから、何とかしてもらえないか聞いてみようという返事で、10分後に電話を掛け直した僕に、上司は、その国の大金持ちの企業家が、ベンツを運転手付きで貸してくれることになったから、空港でベンツを待っていろと言うんだ。そこで、しばらく待っていると、ピカピカに磨かれたシルバー色のベンツが現れたんだ。結局、そのベンツに乗って、10時間車に揺られて何とか勤務地に帰ることができたこともあったよ」
「へえ、アフリカに住んでいる人は貧しい人達ばかりだと言うイメージがあったけれど、すごいお金持ちもいるんだね」
「そうだよ。貧富の差が激しくて、お金持ちは途方もなくお金持ちなんだ」
隅田の話が面白くて、いつも身を乗り出すようにして、「ふんふん」と熱心に話に耳を傾けるので、隅田も私に話すのが楽しいようだった。 (続く)
著作権所有者:久保田満里子