前世療法(9)
更新日: 2017-06-11
第5章 正二の個人セッション
正二は土曜日の4時にリリーの家に着いた。1時から佐代子のセッションがあったのを知っていた正二は、リリーに佐代子のセッションはどうだったか聞きたい衝動に襲われた。
「今日、佐代子さんが来たんですよね?彼女のセッション、どうでしたか?」
すると、そっけない返事が返ってきた。
「ええ。でも内容に関しては、私は秘密厳守の義務がありますから、何もお答えできません」
正二は、その返事を聞いてがっかりすると同時に、安心もした。リリーが秘密厳守するということは、正二のことをべらべら他人にはしゃべらないということでもある。
正二もまた佐代子と同じ寝椅子に体を横たえるように言われ、仰向けに寝た。今度こそは、あの夢に出て来た少女に出会いたいと言う願望を禁じえなかった。
「さあ、頭をリラックスさせましょう」
リリーの静かだが澄み切った声が耳元で聞こえる。正二はリリーの指示に従って、深い催眠状態に入っていった。
最初にもやが見え、その靄(もや)が晴れていくと、美しい山が見えた。空は晴れ渡り、空気も澄んでいた。すがすがしい秋の一日のようだった。前に見える小道をずんずんすすんでいくと、村が見えてきた。日本の村ではない。ヨーロッパの村で、レンガでできた小さな小屋のような家が建て並んでいた。
「あなたはどんな格好をしていますか?」
リリーに言われて、自分の体を見ると、傷もぐれで、服は破れていた。そこで初めて、自分が傷ついていることを知り、傷の猛烈な痛みが正二を襲った。靴も破れている。リリーに言われるまで自分が傷ついていることを知らなかったのが、不思議だった。正二は感じたままをリリーに伝えた。
「それでは、あなたは自分の体を離れて、上空から自分を見てください。そうすれば、痛みを感じず、傍観者として、過去の自分を見ることができます」
正二は、リリーに言われるままにした。すると、痛みが遠のいて、自分の姿全体を見下ろすことができた。変な気持ちだった。上から傍観している自分が、小道を歩いている自分を見ている。
「さあ、村が見えたと言いましたが、村の中に入って行きましょう」
家の立ち並ぶ所に行くと、あちらこちらで子供が遊んでいる姿が目に入った。子供達の甲高い声が、耳に入ってくる。牧場が見え、のんびり五頭ばかりの牛が草を無心に食べている。平和な村の風景だ。
正二の足は、見覚えのある家の前で止まった。そのままじっと立ち止まって家を見ていると、中から疲れた感じの年取った女がかごを片手に持ってのろのろと出てきた。そして、正二の顔を見ると、急に顔を輝かせ、持っていたかごを落とし、
「トム、生きていたの?」と言うと、その女は正二のもとに駆け寄り、正二を抱きしめて、「良かった、良かった。生きていてくれたのね」と言った。
「ママも、生きていてくれて、ありがとう」と言うと、トムと呼ばれた青年の目から涙が流れ落ちた。
二人は、しばらく抱き合っていたが、女は目じりにたまった涙をエプロンの端で拭くと、気を取り直したように、
「トム、早く家に入って!パパもあなたの顔を見たら、どんなに喜ぶことか」とその女は、トムの手を引っ張って、家の中に入った。明るい日差しのもとから家に入ると薄暗く、家の中が良く見えない。しばらくして目が慣れてくると、食堂と思われるテーブルのそばの椅子に年老いた男が座っているのが見えた。
トムの母親は、その老人に、「ジョージ、トムが帰って来たわ」と弾んだ声で言うと、その老人は
「トム?本当か。トムは生きていたのか」と言うと、老人のそばに立っているトムを見上げ、驚いたようにたちあがるなり、トムを抱きしめた。
「パパ」とトムも彼を抱きしめた。
そう言ったあと、トムは一番気がかりになっていることを聞いた。
「ハリオットは、元気?」
ハリオットと言う名前を聞いた途端、今までトムとの再会で顔を輝かせていたトムの両親の顔が曇った。
「どうしたの?ハリオットに何かあったの?」
トムは不吉な予感に襲われた。
「ハリオットは、ハリオットは」と言ったかと思うと、トムの母親は声を詰まらせ、あとが続かなかった。
その続きを聞こうと思っていたら、リリーから、今日のセッションは終わりにしますと言われた。正二は、深い失望を感じたが、もし佐代子がハリオットなら、彼女の方が何か見ているかもしれないと、彼女が教えてくれることに、期待することで、失望感を克服した。。
著作権所有者:久保田満里子