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人探し(6)

クリスマスの押し迫る12月23日の昼過ぎに、正雄は家を出た。手元のバッグには勿論へその緒を入れている。そして、厚手のコートを着てジーンズをはき、首には約束通り青いマフラーを巻いた。
 遅れては困ると思い、早めに家を出たつもりだったが、五反田駅に着いた時には約束の時間より3分遅れていた。
改札口を出て慌てて見まわすと、野球帽をかぶった男が正雄に近づいてきた。ジャンパーとジーパン姿の細長な顔の男だった。顔を見て、その男が父に似ているように思えた。 
「坂口さんですか?」という言葉に、正雄はすぐにうなずき、「あなたは藤沢さんですか?」と聞いた。
「そうです」
藤沢は正雄の顔をじっと見て、「あなたは父に似ていますね」と言った。そういわれると、自分が今父だと思っている人物は自分の父ではないと宣告されたようで、複雑な気持ちになった。
そういう正雄の気持ちを知ってか知らずにか
「すぐに、鑑定所に行きましょう」と正雄を促した。
 鑑定所は、駅から歩いて5分のところにあった。その5分の間に、母親が乳がんにかかったことを藤沢から聞かされた。会う前に藤沢の母親に何かあったらどうしようかと正雄は不安になって、
「命に別状はないんですか?」と心配そうに聞いた。
「幸いにも母のかかった乳がんは、悪質ではなさそうで、手術を済ませた後は、放射線治療をすれば、大丈夫だそうです」
「抗がん剤治療はしなくてもいいんですか?」と聞くと、
「どこにも転移していなかったそうで、抗がん剤治療をしなくてすむということです。最近は医療の進歩で乳がんは初期に発見されれば生存率は95%だそうですからね。心配することはありませんよ」と藤沢に言われ、正雄は胸を撫ぜおろした。
 鑑定所は2階建てのビルの2階にあった。ビルの中に入って階段を上がると「遺伝子研究所」と言う字が窓に書かれている事務所のドアを押した。
 藤沢は受付でへその緒を取り出し、「このへその緒がこの、坂口正雄さんのものどうか鑑定していただきたいんですけれども」と言い、「坂口さんも持ってきたへその緒を出してください」と、後ろにいた坂口を振り向きながら言った。坂口が木の箱からへその緒を取り出すと、「これが僕のへその緒かも鑑定していただきたいんですが」と説明し、「いつ頃鑑定がすみますか?」と聞くと、「3日かかります」と受付に言われ、そして申込用紙に、住所や氏名、電話番号を記入するように言われた。二人はそれぞれ申込用紙に必要事項を記入したうえで、箱に入ったへその緒を渡した。すると、箱に書いてある名前を見て、受付嬢が変な顔をして、「二人の名前が違っていますよ」と指摘した。
二人は顔を見合せ、藤沢の方が、「ええ、間違っていると思うので、それを証明していただきたいんです」
受付嬢は一瞬変な顔をしたが、すぐに何事もなかったような顔になり、
「それでは、お二人の唾液を取らせていただきますので、こちらにどうぞ」と受付のそばに会った小部屋に案内された。
そこには簡素なソファーとテーブルがあり、部屋の片隅には植木鉢があった。ソファーに座って待っていると、すぐに白衣の眼鏡をかけたいかにもインテリと言う感じの男が現れ、「鬼頭です」と自己紹介をすると、「それでは、これで口の中の粘膜をこすってください」と二人に綿棒を渡した。二人が言われたようにして、たっぷりと唾液を吸った綿棒を返すと、
「持ってきていただいたへその緒は、少し切り取ることになると思いますが、構いませんね」と確認した。二人が同時に「構いません」と答えると、
「それでは、鑑定は明後日には出ますから、明後日の後、来てください」と言われ、
「よろしくお願いします」と二人で神妙に頭を下げて、鑑定所を後にした。

著作権所有者:久保田満里子

 

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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