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塞翁が馬(1)

「人間万事塞翁が馬」この言葉を初めて聞いた時、里奈のことを思い浮かべた。「人生の吉凶は予測できない」と言う意味を持つこのことわざに、里奈はぴったり当てはまる人だった。
 里奈が、メルボルンに来たのが10年前のことだった。日本で英語学校の教師をしていたオーストラリア人のグレッグと結婚してメルボルンに来たのだが、私の夫、ルークがグレッグの大学時代の友達だった関係で、里奈と会った。ルークは、里奈が日本人だから、日本人の私とすぐに友達になれると思ったようで、里奈たちを頻繁にバーベキューパーティーに招待した。そしてルークとグレッグが期待したように、里奈と私は親しく付き合うようになっていった。里奈ははつらつと、活発な女性だった。それに切れ長の目をして鼻筋の通った理知的な感じのする美人だった。
そんな彼女が、半年もしないうちに
「働きたんだけれど、なかなか働き口が見つからないのよ。一日中うちにいて、家事をしてグレッグの帰りを待つだけの生活なんて耐えられない。ねえ、明日香さんの教えている大学で日本語を教えられないかしら」と、大学でパートで日本語を教えている私にせっつくようになった。勿論彼女に仕事の紹介をしたいのはやまやまだが、何しろパートの身。20年前のように、日本語ブームで猫の手も借りたいくらい人手不足だった時ならまだしも、今は中国語に押されて、オーストラリア人の日本語学習熱は下火になっている。自分のパートの口もこのまま続くのか怪しくなっている私に、彼女に就職のあっせんなどできるはずがない。
「10年前だったらねえ、きっとすぐに就職口が見つかったと思うけれど、今はねえ」と、ため息をついて、やんわり断る以外にない。その度に、「そう。オーストラリアに来たタイミングが悪かったのね」と、タイミングよく来た私をうらやましがった。 
しかしある日
「私、XX大学の博士課程に入って、大学の日本語教師を目指すことにしたわ」と告げられた私は、突然のことで唖然としてしまった。確かに里奈の父親が商社に勤めていた関係で、海外子女の里奈の英語は母語話者とたいして変わらないほど上手だったが、日本の大学を出た里奈にオーストラリアの大学が簡単に大学院に入学許可を出すとは考えられなかった。私は修士号しか持っていないが、この修士号を取るのにも3年もかかった。1年目はオーストラリアの大学を出たわけではないので、修士課程に入学するための資格を取るための単位取得に費やされた。そしてその頃2年かかる修士課程を終えて、やっと修士号が取得できたのだ。里奈は案の定、修士課程から始めるようにと言われたらしいが、「それじゃあ、修士から始めるわ」と、あっさり修士課程から勉強をはじめることにした。私の勤めている大学では、大学院生にパートの仕事を優先的に与えるという暗黙のルールがあったので、里奈はパートで教えながら、修士課程の勉強に励むようになった。私は何となく彼女に対してライバル意識を持つようになった。時折彼女が教えている学生が、「木原先生の授業って面白いわねえ」などと同級生同士で話しているのを耳にすると、「それじゃあ、私の授業は面白くないって言うこと?」と、ひがみ根性を持つようになったのは、自分でも驚いた。パートの先生用の職員室で時折顔を合わせることがあったが、挨拶はするけれど、私自身から彼女に話しかけることはなかった。彼女もそんな私の態度に、自分が煙たがられているのに気づいたらしい。彼女も私に話しかけることはなくなっていった。

著作権所有者:久保田満里子

 

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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