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一(はじめ)と一子(いちこ)(4)

昭和17年(1942年)の春。四国の春は早く来る。桜も散った4月18日は、天気も良く、ぽかりぽかりと暖かい日だった。
その日、一子はキクエに呼び出された。
「大事な話があるから来てくださいと、おかみさんが言っています」と使いの者から聞いて、大事なことってなんだろうと思いながら、もしかしたら一さんに悪いことが起こったのではないかと胸騒ぎがして、とるものもとりあえず、千九亭にかけつけた。
キクエは、座敷にある仏壇の前に座っていた。
「お姉さん」
一子は、自分が座敷に入った気配も気が付かず、仏壇の前に座っているキクエに、大きな声を出すことがはばかられ、小声で、キクエの背中に声をかけた。
キクエは、一子の呼びかけに、すぐには返事をせず、ゆっくりと座ったまま、一子に向かい合った。その目は涙で濡れていた。
「一子さん、きのう、佐世保の海軍人事部から、こんな通知が来ました」
 やっぱり、悪い知らせだったんだと思うと、一子はすぐには、通知を受け取る勇気が出なかった。やっと、震える手で受け取った通知に、
「豊島一 昭和17年2月19日(時刻不明」豪州方面の戦闘にて戦死」と言う字を見た時、一子はくらくらとめまいがした。
 戦闘パイロットだった一が戦死することは、考えたことがないと言えばウソになる。でも、こんなにも早く別れが来るとは、思いもしなかった。2月19日と言えば、一が日本を離れて、1か月もたっていないではないか。
「一さんの遺灰は戻って来たんですか?」
キクエは頭を横に振った。
「遺灰も何もないのよ。だからお葬式もできない」と言うと、キクエはむせび泣いた。
 悲しみはじわじわと湧き上がって来た。キクエとそのあと、どんな会話をしたか、遠くの出来事のようで、覚えがない。宙を歩くような現実味の欠けた感覚で歩いて、何とか家に帰った。家に帰って初めて、ワッと涙が出て来て、止まらなくなった。いつも明るい笑顔を見せてくれたハンサムな一の顔。やさしかった一。一の怒った顔を一度も見たことがなかった。一との思い出が次から次に頭に浮かんでは、もう一とは二度と会えないんだと考えると、息をするのも苦しくなった。
 一の戦死を聞いてからの一子は、家に引っ込んで出て来なくなった。いつもは明るい一子から笑顔が消えた。部屋の隅にうずくまって、頭を垂れている一子を、一子の家族は、どう慰めたらよいものか途方に暮れた。キクエからも1か月ばかりして、一と最後に言葉を交わした戦友が訪ねたから、あなたも良かったら一緒に話を聞かないかと誘われた。
一のことなら何でも知りたい。あの人がどんな死に方をしたのか、聞いておきたい。そう思うと一子は久しぶりに千九亭に行くことにした。久しぶりに余所行きの服に着替えたら、だぶだぶだった。こんなにもやせ細ったのかと、自分でもびっくりした。
 千九亭の客間にいた一の戦友は、軍人らしくピリッとした感じの青年だった。一子が座ると、「僕は、小山富雄という者で、豊島君とは、同じ飛龍の乗組員で、真珠湾攻撃も一緒に出撃し、ミッドウエイでも一緒に戦ったものです。この度は、豊島君の最後をみとったものとして、ご家族にご報告をしたいと思い参りました」
 居住まいをただしたキクエと一子の前で、真面目そうな顔のその青年は、一の最後の様子を次のように語った。

注:中野不二男の「カウラの突撃ラッパ」を脚色したもので、実際には小山富雄は豊島一の実家を訪ねていません。

 

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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