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藤沢美恵子(仮名)の物語(1)

藤沢美恵子(仮名)さんの物語
 藤沢さんを一言で紹介するのは難しい。色んな仕事に携わったことがあるからだ。敢えて言えば、チャレンジャー。たとえたくさんお金を儲けるようになったとしても、同じことの繰り返しだと退屈になり、ほかのことをチャレンジしてみたくなると言う。瘦身ながら、バイタリティーあふれる人だ。
 藤沢さんのご希望で、私が藤沢さんになったつもりで、藤沢さんの物語を語っていくことにする。
 私は1947年生まれで、いわゆる団塊の世代。今年74歳になるけれども、皆から60代にしか見えないと言われる。それも後で述べる私の健康法のおかげだと思う。1947年と言えば、戦後2年で、日本はまだ貧しく、飢えにあえぐ人も多ったけれど、まだ小さかったので、その頃の記憶はない。私は3人姉妹の真ん中だった。
 私は大阪出身なのだが、標準語で話すようにしているせいか、私から言わない限り、皆私が大阪出身だと分からないようだ。 
 学歴?日本人って、すぐ学歴を聞きたがるけど、私は大阪女学院の専攻科出身。大阪女学院は戦前はウヰルミナハウスと言う名前だったんだけど戦争になった時、大阪女学院に名前が変えたと言うことだ。戦争中は英語は敵国語として全面使用禁止だったから。そう言えば、戦争中は野球用語も全部日本語に変わって、大変だったみたいね。例えばストライクは「よし」、ボールは「駄目」、グローブは「手袋」などと言い換えたと言うことだけれど、今聞けば変な感じがする。
 私が卒業した後、専攻科は短大になったの。キリスト教の学校なのでアメリカから宣教師が来ていて、アメリカ人から英語を習うことができたけど、英語はどちらかと言えば、余り得意科目とは言えなかったなあ。
 今では女性でも大学を卒業するのが当たり前の時代になったけれど、私の年代では、「女は家庭に入るのが一番の幸せ。へたに高学歴になると男の方がひるんでしまうから、高卒で十分」と思われていたから、高学歴の女性なんて余りいなかった。
 短大を卒業した後結婚する人も多かったけれど、私は結婚して主婦になる気はしなかったわ。

著作権所有者:久保田満里子

 

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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