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藤沢美恵子さん(仮名)の物語(4)

大学での勉強も終わり、労働ビザを取った後は、日本語を使う仕事ばかりした。大学の英語学校に行ったと言っても、英語は自分には向いていなくて、読むのはともかく、会話は今でも苦手。だから、最初は日本人相手の旅行ガイドをやった。その頃は日本経済のバブル経済絶頂期だったから、日本からの観光客は多かった。だから仕事はいくらでもあったわ。ガイドをやる前にガイドの手引きを渡されて、色んな観光地の説明を丸暗記させられた。そのトレーニングが終わった後は、エージェントから連絡が来ると、一人でエージェントが契約しているバス会社に連絡し、お客様を空港までお迎えに行って、その後は市内観光や、ペンギン見物の旅行などの案内をしたの。でも旅行ガイドの仕事はすぐに飽きてしまって、長続きしなかった。
 次にしたことは、日本レストランのウエイトレス。今でこそ和食が人気があって、いたるところに寿司店があるけれど、その頃日本レストランが少なかったので、日本料理店をはじめようと思って、勉強のためレストランのウエイトレスをしたのよ。でもレストランを開店するには手元の資金が足りなくて、親に資金援助を頼んだの。そしたらうちの親は、「どうせあんたはすぐに商売に飽きてほかの商売をしはじめだろうから、長続きしないビジネスのためにお金を貸してあげる気はない」と言って、取り合ってもらえなかった。仕方ないので友達に2万ドル借りた。資金を貸してくれた友達には利子も含めて、2年で全部返済したんだけれど。そんな苦労もあったけれど念願かなって、セントキルダにレストランを開店。でも、素人が経営しようと思ったのだから失敗の連続。この時は私の人生で一番大変だった。日本に帰って、日本から板前さんを連れて来たのだけれど、その板前さんが他の店から引き抜かれて2週間でやめると言いだした時は、ショックで急性胃痙攣になって入院するはめにおちいったわ。板前さんが辞めると言ったのが、日本に2週間帰国する直前だったので手の打ちようもなく、打撃がひどかったのよ。もう体力的にも精神的にも限界だったので、店を売って、休息の旅に出ることにした。結局レストランを経営したのは4年半だった。今まで色々なビジネスを手掛けたけれど、この仕事が一番大変だった。今でも思い出すと、胃が痛くなる。

著作権所有者:久保田満里子

 

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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