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恋物語(1)

92歳になるホワイト和子は、介護士の佐川浩子の「おはようございます!」という元気いっぱいの声に夢から目覚めた。ここは和子が2年前に入ったオーストラリアのシドニー郊外にある老人ホームである。日本人の介護士がいると言うので、息子が選んでくれた老人ホームだった。
いつも9時になると浩子は朝食を運んでくれる。食事を持ってきた浩子の声で目覚めた和子の口元がほころびている。その笑顔を見て、浩子は「ホワイトさん、何か良い夢を見ましたか?」と聞いた。そうだ。もう70年以上も前に出会った恋人のデニスの夢を見ていたのだ。でもデニスのことは、和子の胸の奥にしっかりしまわれていて、今まで誰にもデニスのことを話したことがない。最愛の亡夫にさえも。今更介護士にデニスのことを話すのはためらわれたので、「ええ、ケリーの夢を見ていたの」と言うと、浩子は納得したように、和子の枕元にある和子の亡夫ケリーの写真を見やりながら、「仲の良いご夫婦だったんですね」と言った。
    さて、夢の中でデニスは何と言ったのか?と、思い起こそうとしても、思い出せない。ただ彼と一緒にいたという幸せな気持ちだけは、余韻のように残っている。デニスのことを思い出すと、今でも胸がきゅんとなる。和子がデニス・アンダーソンに会ったのは、デニスが進駐軍の兵士として呉に派遣されて来た1948年のことだった。和子は女学校を卒業した後、進駐軍の事務員として雇われた。プライドの高い和子は、同じように事務員として雇われていた若い日本人女性が、事務所にいるオーストラリア人の男達に媚を使うのを見て忌々しく思い、私は絶対にあんなにならないわと思ったものだ。だから、オーストラリア人の同僚から話しかけられても木でくくったような返事しかしなかった。そんな和子は日曜日になるとカソリックの教会に通った。戦争で何もかも失い絶望感がただよう日本だったが、和子は教会に行くと、心がなごんだ。嫌なことがあっても教会に行って、マリヤ様に抱かれたイエス・キリストの絵を飽くこともなく見ていると不思議と落ち着いた。だから、日曜日の礼拝には欠かさず出席していたのだが、そこでデニスと会った。

ちょさ

 

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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