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木曜島の潜水夫(12)

トミーが結婚して3か月たった1938年4月3日のことだった。トミーの弟の寿一は、中井甚平の船に乗って、ダーンレイ島の南西16キロの所にあるカレー 暗礁に出かけた。天気も良く、波もとりわけ高くもない、いつもと変わらぬ日だった。中井の船では第二潜水夫となっていた寿一が水深38メートルの所に潜った。寿一が潜って25分経った時だった。もう浮上しなければ危険だと思われる時間だったので、見張りが上昇するように強くロープを引いて知らせた。すると、寿一の方から、「待て」と言うシグナルが返って来た。見張りは寿一がもっと貝を見つけたのだと思い、そのまま空気を送り続けた。すると、それからしばらくしたら、急に空気を送るホースがピーンとはった。中井は寿一が浮上してくるものと思い、3番目の潜水夫に、潜水服を着て潜水の準備しろと命じた。すると、寿一が突如浮上してきて皆を驚ろかせた。皆が波しぶきが上がった方を見ると、寿一はヘルメットをなくしていた。空気を吸えなくなった寿一はブーツを蹴り落して急上昇をしたのだ。急な圧力の変化のため寿一の肺は破裂してしまったらしく、苦しむ寿一を皆が取り囲んだが、皆呆然として、体が動かず、手をこまねいていた。近くで船を浮かべていたトミーに、無線でそのニュースが届いた時は、トミーの顔は真っ青になった。『寿一が潜水病にかかった?そんなこと、あるはずない』。心の動揺を抑えながら、トミーはとるものもとりあえず、中井の船に自分の船を横付けして、中井の船に飛び乗った。そこでは、寿一が甲板に死んだように横たわっていた。トミーはすぐに寿一にヘルメットをつけて抱きかかえ、二人で海に飛び込んだ。潜水病を防止するためには、2時間かけてゆっくり浮上することと言う意識が頭に染みついていたトミーは、弟を抱きかかえてゆっくりゆっくり浮上していった。「寿一、死ぬな。死ぬんじゃないぞ」と心の中で叫び続けていた。そして2時間後、浮上した二人は、中井達に船に引き上げられた。しかし、甲板に横たわった寿一の唇は紫になったままで、目を開けなかった。「寿一!、寿一!」と叫びながら、トミーは寿一を揺さぶったが、寿一はトミーの腕の中で、動くことはなかった。もう寿一は生き返ることはないと悟ると、トミーは寿一の体を抱きしめて、全身をわななわせて号泣した。中井達もなすすべもなく呆然となって、トミーと寿一を取り囲んで、見守るほかなかった。トミーの泣き声はいつまでも、いつまでも海に響き渡った。
 寿一の遺体を乗せた船は、ひっそりと木曜島に向かった。船のマストには、赤い布切れが結び付けられていた。それが、船で死んだ者に対する弔意を表す島の習慣だった。寿一の死は、ほかの真珠貝仲間にも伝えられ、他の真珠貝船も、ぞくぞくと島に戻って来て、寿一の葬儀が行われた。その間トミーは心ここにあらずという様子で、他の者が声をかけると、新たな涙に包まれるので、ジョセフィーンでさえトミーに声をかけるのを遠慮した。トミーは、寿一を島に呼んだことを悔い、自分を責めていた。
 寿一の墓が建てられると、トミーは毎日のように墓参りをして、一人寿一に話しかけていた。当分の間、トミーは海に戻ることができなかった。寿一の死に顔が目にチラついて、海に戻る気力がなくなったのだ。寿一の死後、寿一の死んだ場所には、どの真珠貝船も近づかなかった。その年、寿一を含めて3名の日本人の潜水夫が命を落とした。

ちょさく

 

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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