中野不二男氏(3)
更新日: 2024-06-22
質問:いろんな国に住んでいらっしゃいますが、言葉の問題はどういう風に解決されていたのでしょうか?ドイツでは、そんなにうまく喋れたとは言えないですねえ。今息子がドイツのケルンと言うところにいて、アメリカでいえばNASAみたいなところで研究していますが、その前はフランスで博士号を取って、言語は面白いと言って、言語オタクのようになって、四か国語はできますよ。僕は息子の足元にも及ばないですね。
質問:オーストラリアには1978年から82年の4年しかいらっしゃらなかったんですよね。どうして日本に帰られたんですか?
4年の間にオーストラリア各地で日本人のダイバーとか、カウラの話を調べましたが、3年くらいたった頃、大阪の国立民族学博物館の館長であり、京都大学名誉教授の梅棹忠夫と言う有名な先生がオーストラリアに招聘されて視察されることになったんです。そこで、連邦政府の外務省に頼まれて、梅棹先生の付き添いをして2週間以上オーストラリア国内を回ることになったんです。その時、梅棹先生に気に入られて、日本に帰って本を執筆したらどうかと勧められました。自分もそろそろ色々書きたいと思っていたところだったので、それから一年後、日本に帰ったんですよ。日本に帰ってからも1,2年は日本とオーストラリアを行ったり来たりでした。
質問:著書の中に「マレーの虎、ハリマオ伝説」と言う谷豊と言う人物のことを書いた本がありますが、どうして、谷豊に興味を持たれたんですか?
Broomのダイバーの人たちに会って、日本人が移民すると言うことはどんなことなんだろうと思って、それで、ハリマオも日本からの移民だったんだなと思いまして、それで、調べ始めたわけです。
質問:南忠男について、どうして書こうと思われたのですか?
Broomでダイバーから南忠男と言う名前を教えてもらい、メルボルンのアーカイブに通って調べまくりましたね。
その頃は今と違って、文芸春秋、中央公論、集英社とか新潮社、皆すごく頑張っていましたよね。今は残念ながらインターネットの時代になって本の売れ行きが桁違いに少なくなっていますが、その頃は信じられないくらい出版社がお金をだしてくれましたね。「中野さん、調べに行かないか」「中野さん、こんな本を書かないか」とか、「今何か新しいテーマをお持ちですか?」とか、たくさん取材費もでていましたね。そういう意味では、今の作家たちはかわいそうだなと思いますね。僕は恵まれた時代にいっぱい書かせてもらったと思いますね。
著作権所有者:久保田満里子
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