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伊藤美緒(仮名)の物語(2)

ワーキングホリデービザは、YOUTUBEで申請の仕方を見て、自分で申請した。犯罪証明書も必要なかった。貯金の残高証明だけで、ビザが簡単に取れた。
彼とは、遠距離という理由が原因ではなく別の理由で別れてしまったが、その2ヶ月後にオーストラリアに旅立った。
そして、2023年7月に、メルボルンにやって来た。コロナで海外渡航ができなくなっていた期間、できるだけの準備はしてきた。バリスタだと仕事が見つかりやすいとの情報を得て、日本にいる間、バリスタのアルバイトをして経験を積んだ。また大阪城のガイドをして、英語も少し話す機会があった。
メルボルンに来て最初に見たのがサザンクロス駅。その大きさにびっくりした。オーストラリアに来る前持っていたオーストラリアのイメージは、サーフィンできる海、そして山など、自然豊かな国だと思っていたので、イメージがひっくり返されたような感じだった。
オーストラリアは白人の国だと言うイメージも書き換えられた。メルボルンは思ったよりアジア人が多い多国籍の人の町だと言うことは、意外な発見だった。メルボルンの人は親切だが、いい意味で他人に関心がないように感じた。だから日本に比べて余り他人の目を気にしないですむので、ゆったりした感じがいいなと思った。
メルボルンに来てすぐに、色んなレストランにレジメを配って回った。どこも自分と同じようにレジメを配る日本人の若者が多いせいか、レジメに目も通してくれそうもない店ばかりだった。これではなかなか仕事が見つからないだろうと言う感触を受け、焦った。その間宿泊場所もネットで調べてはいろんなところに内見に出かけていた。ある日ネットでケンジントンのアパートのシェアメイトの募集が出ていたので、そのアパートを見に行くことにした。そのためケンジントン駅で降りたところ、駅のそばのカフェのバリスタ募集の貼り紙が目に入った。たまたまレジメを持っていたので店に入ってオーナーに渡したら、試しにコーヒーを作ってみてくれと言われ、その場でテストされた。雇ってもらえるかどうかは、すぐには返事がもらえなかったので、採用に関する通知はインスタグラムに連絡をしてくれるように頼んだ。下見に行ったケンジントンのアパートはあまりにもひどい物件だったので断って他をあたることにして、数日間宿舎にしているホステルに帰った。翌日にインスタグラムを見ると、カフェからカジュアルでの採用通知のメッセージが入っていた。こんなに早く仕事がみつかるとは思わなかったので、ラッキーだと思った。そのカフェのオーナーはイラン人でマネージャーがフィリピン人と言う国際色豊かなカフェだった。最初はちゃんと彼らの英語が聞き取れなくて困ったが、そのうち段々と聞き取れるようになっていった。そのカフェでは、日本と違ったコーヒーの種類があり、いろいろ教わることも多かった。しかし、カジュアルの仕事だけでは食べていけないので、フルタイムの仕事が欲しくてネットで探したら、フィッツロイガーデンのカフェでフルタイムのバリスタの仕事を見つかり、そちらに転職した。

ちょさk

 

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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