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私のヒロシマ(2)

リチャードは言葉をつづけた。
「トルーマンはね、日本人にとって天皇がいかに重要な存在であるか知っていたから、わざわざ無条件の武力解除を要求したので、無条件に全面降伏しろとは言わなかったんだよ。そのほうが、日本側も受け入れやすいだろうと判断したからだ。ところがそれがあだになってしまったんだな。日本の軍部は、死をも恐れず突っ込んでくる日本の軍隊が恐ろしいから、そう言ったんだと誤解して、当時の鈴木総理はかえって強気になって戦争を続けたんだからね。トルーマンの思いやりがかえって仇になったんだ」
 リチャードも、段々興奮してきて、口角に唾を飛ばして話を続けた。
「実はさ、10年くらい前アメリカに行った時、その原爆投下に参加したというポール・ティベットと会って、話を聞くチャンスがあったんだ。ポールの話だと原爆投下の任務を与えられたアメリカの兵士たちも命がけで、決行したそうだよ。作戦に使われたのはティニアンという太平洋のマリアナ諸島にある島の米軍基地にあった3機の飛行機だということだ。天気を偵察するための偵察機。原爆を抱えた爆撃機、記録をとる為のカメラを搭載した飛行機。もし広島が曇っているか雨だったら、次のターゲット、小倉あるいは長崎に行く予定だったそうだが、幸か不幸か、その日は、広島は晴天だったそうだ。任務についた兵士たち全員に青酸カリが渡されたそうだよ。原爆はアメリカにとって秘密兵器だったから、その秘密を守るために失敗した時には自決するように言われたそうだ。作戦の指揮をとったポールは爆撃機に乗っていたそうだけれど、広島に投下された原爆、いわゆるリトルボーイは4トンもあったので、まずリトルボーイを積んだ飛行機が離陸できるかどうか、全く自信がなかったそうだ。だから離陸に成功した時は、胸を撫ぜおろしたそうだ。その後も、問題はあったんだそうだ。投下する前に爆発しては困るので、ヒロシマが見えたところで、起爆するようにしなければならず、安全弁となっていたボルト3本を、起爆するためのボルトに取り換えなければいけなかったそうだよ。その時も失敗すれば、広島につく前に自分たちの飛行機が爆破される恐れがあって、ひやひやしたそうだ」
 私は、リチャードが興奮して言えば言うほど、頭に血が上ってきた。
「でも、そのために10万人の人が死んだんですよ。兵隊でもなかった市民が、焼き殺されたことは、私はどうしても容認できません」
大きな声で、自分の怒りをぶつけると、私はさっさと立ち上がって、いとまごいをするのも忘れてリチャードの家を後にした。背中でリチャードの「ちょっと、待ってよ」と言う声が聞こえたが、それも無視して帰ってしまった。

ちょ

 

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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