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EMR(6)

「そうですよ。一度使ったことがあるんでしょ?使い方は簡単でしょ?耳につけて、相手に触れるだけでいいんですから」
「でも、知らない人に触れるって、そう簡単にはできませんよ」
「まあ、女性のあなたが触る分に関しては、そんなに問題にならないでしょう。僕なんかが女性に触ると、痴漢だって喚きたてられる恐れがありますけれどね」と言って、はじめて笑った。胡散臭いと思った男も白い歯を出して笑っているのを見ると、無邪気に見えた。
「どんなことをしてほしいんですか?」
「毎日、電車に乗りますか?」
「ええ、勤務先はシティーにありますからね。電車で通勤するつもりですよ」
「じゃあ、電車で人の考えていることを調べてくれませんか?ちゃんと調査費用は研究費からお払いしますから、アルバイトだと思ってやってくれませんか?」
「そんな他人の考えていることを調べて、どうするんです?」
「いや、どんな状態のときが一番性能がよくなるかとか、性能が下がるのはどんな時かを知りたいので、その人がどんなことを考えていたのか記録する必要はないですよ。実験した日時、場所、相手の外見、相手のどこと接触したか、よく相手の考えていることが分かったかを五つ星の点数にして書いてくれればいいんです。簡単でしょ?」
「そうは言われても、私も新しい仕事に就いたばかりだし、アルバイトをする時間なんてないんですけど」と言いながらも、理沙は、他人の心を覗くということに興味が全くないわけではなかったので、断る言葉も歯切れが悪かった。
「一日何人やってほしいなんてことを強制はしませんよ。時間のあるときにやってもらえばいいんですから、やってくださいよ」
 ハリーに粘られて、理沙は結局「それじゃあ、やってみます」と言ってしまった。
「実際の実験をやり始めるためには、契約書にサインをして頂かないといけないので、明日にでも大学に来てもらえますか?そうだ。僕の名刺を渡しますから、僕の研究室に来てください。その時、このエレクトロニック・マインド・リーダーをお渡しします」
「その耳栓もどきは、エレクトロニック・マインド・リーダーっていうんですか?」
「ええ、僕がつけた名前ですけれどね。心を読む電気器具ですからね。ちょっと長ったらしいので、EMRと省略して言うことが多いですけれどね」
「分かりました。では、明日仕事を終わってからいってもいいですか?」
「何時に仕事は終わるんですか?」
「五時です」
「それじゃあ、事務室はしまっているかもしれないので、直接僕の研究室に来てください。契約の書類も明日までに揃えておきますよ。いや、実験協力者をどんな風にして集めればいいのか思案していたところなので、助かります。じゃあ、また明日」と、ハリーは握手のために手を差し伸べ、力いっぱい理沙の手を握り締めて大きく振った。分厚くて毛深い手だった。
 ハリーは戸口まで見送った理沙を突然振り返り、大事なことを言い忘れたとばかり、「EMRはまだ特許の申請もしていないので、口外しないでくださいね」と真剣な顔をして言った。理沙は、エイミーと省吾もEMRのことは知っているので、困ったような顔をして「引越しを手伝いに来た二人の友達は、もうEMRのことを知っていますよ」と答えた。ハリーはそれを聞くと、「うーん」とうなった。「これも僕が不注意にもここに置き忘れたためだから、仕方ありませんね。そのお二人に、他言しないようにお願いできます
か?」
「ええ、いいですよ」と理沙は気軽に請け負ったが、秘密だと言われたら余計にしゃべりたくなるのが人情だと思うと、本当は、こんなに安請け合いしてもいいものかと自信がなかった。
   何だか台風に襲われたような感じのハリーの訪問だったが、理沙はハリーが帰るや否や
  すぐにエイミーに電話した。
「エイミー、今さっき、前のこのマンションの住人が、あの耳栓もどきを取りに来たわよ」
「へえ。前の住人って、どんな人だった?」
「髭もじゃの余り身なりを構わない感じの三十半ばくらいの男かなあ」
「で、あれは、一体何だったの?」
「エレクトロニック・マインド・リーダーって言う、ハリーが発明したものなんですって」
「へえ。やっぱり人の心の声を聞く機械だったんだ」
「そう。まだ特許をとっていないので、秘密にしておいてくれっていうことなの」
「そう。分かったわ」
「それで、まだ試作品が出来たばかりだから、私に実験に協力してくれって言うのよ」
「で、引き受けたの?」
「そう。新しい仕事についたばかりだから時間がないって言ったんだけど、どうしても協力して欲しいってねばられちゃって」
「もしかして、理沙、そのハリーって言う男に気があるんじゃないでしょね」
「まさか。あんなむさくるしい感じの男、私の趣味じゃないわよ」
「そうなの。で、省吾にはもう知らせたの?」
 エイミーはEMRのことよりも省吾のことが気になるようだった
「今から知らせるわ」
「省吾、理沙が好きみたいだから、彼の心を傷つけちゃだめよ」
「そう言われると、つらいわ。だって省吾に対しては全然男って言う感覚がないんだもの。省吾があんなふうに私のことを思っていると知って、実は私困っているのよ。今までのように無邪気に彼と接していけなくなったわ」
 理沙はため息混じりに言った。


著作権所有者:久保田満里子

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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