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EMR(14)

 リッチモンド駅前の道路の片隅に立って、ハリーが携帯で話しているのを理沙は側で聞いていたが、電話は一分とかからなかった。こちらが提供できる情報と言うのがごく限られていたからである。
 携帯のふたを閉めているハリーに向かって理沙は聞いた。
「000番に電話しなかったの?」
「これは、緊急事態と言うより、犯罪防止のための電話だろ。だから犯罪防止課に電話したんだよ」
「で、どうでした?何て言っていました?」
「調査すると言っていたよ」
「どうして情報を手に入れたと説明したんですか?」
「独り言を言っているのを聞いたということにしたよ」
 理沙は思わず吹き出してしまった。
「そんなことを言うと、信用されないんじゃないですか?テロの計画を独り言でもらす馬鹿がいるなんて、考えられないんじゃないんですか?」
「じゃあ、どう説明すれば警察は納得してくれると思うんだ?」
「それは・・・」理沙は反問されて、口ごもってしまった。
「ともかく、向こうも調査に乗り出すと言ってくれたんだから、善良なる市民としての僕達の役目は終わったんだ。僕は、また今から研究室に戻るよ」
 ハリーがリッチモンド駅からメルボルン・セントラルに行く電車に乗って去った後、一人ホームに残された理沙は、これでいいのだろうかと不安になってきた。果たして警察は緊急事態として、あの男を逮捕してくれるだろうか?今日は会社を休むと連絡したので、今更出勤もできない。それなら、あの男を見張っておくほうが、少しでも心安らぐ。警察が乗り出すと言う事だから、今日中にはあの男は逮捕されるだろう。理沙はその様子を確認したいという衝動に駆られた。
 理沙は、リッチモンド駅から「ジーンズ・オンリー」の店に引き返した。店の近くまで行ったものの、中に入っていくわけにはいかない。どうすれば、この店を監視できるだろうかと辺りを見回すと、道路を挟んで斜め向かいにカフェがあるのが見えた。カフェの道路わきに出してあるテーブルに座れば、この店に出入りする人の様子が見える。そのカフェから見張ることにした。
 「ジーンズ・オンリー」がよく見えるテーブルに陣取って、注文したカフェラテを飲んだ。これで今朝から3杯目のコーヒーである。さすがのコーヒー好きの理沙も少し胃もたれする感じだ。コーヒーを飲みながらも目は店のほうから離さなかった。すると、サングラスをかけた頑丈そうな体をした男二人が店に入って行った。こんなに迅速に行動を起こすなんて警察もまんざらではないと、理沙は感心するとともに、ほっとした気持ちで眺めていた。そのうちムハマドを真ん中にはさんで三人が連れ立って出てくる姿が目に浮かぶようであった。今か今かと待っているとやっと現われたのは、あの店に十分前に入って行った二人だけで、ムハマドの姿は見られなかった。二人のうち一人が「ジーンズ・オンリー」の紙バッグをさげているところを見ると、ただの客だったようだ。
「なーんだ。やけに早いと思ったわ」
 理沙はがっかりしたものの、そのまま店の監視を続けた。三十分も経ったころ、突然理沙の頭に恐ろしい考えが浮かんできた。
「もしかしたら、あの店、裏側にも出られるんじゃないかしら」
 でも、よく考えているうちに、その可能性は薄いように思われた。まず、あの男が出勤した時、表にあるドアから入って行ったこと。そしてハリーと理沙が店の中にいた時も、表から帰って来た。だから、裏戸があるとは思えない。そう考えると、立ちかけた腰をまた椅子に下ろした。理沙の前にはからっぽになったカフェラテのグラスがあったが、しばらくすると長居をする客は邪魔だとばかり、ウェートレスがグラスを取って行ってしまった。また何か注文しなければいけないかなと思っていると、ムハマドが、店から出てくるのが見えた。どこにいくのか心配になり、慌ててコーヒー代を払うと、ムハマドの後を追った。時計にちらっと目をやると、十二時になっていた。もしかしたら昼ごはんを食べに行くのかもしれない。それにしても二時間ばかり待っても警官の姿が見えなかったのには、理沙は失望した。ムハマドとは十メートルぐらいの間隔をとって後をつけた。人もまばらなので、余り近づくと尾行に気づかれてしまう。ムハマドは理沙の想像していた通り、駅前のカフェに入って行った。そこに入っていくと、先に来ていた男にムハマドは近づいて、同じテーブルに座って、その男と何やら話し始めた。何を話しているのか聞きたいが、ムハマドに顔を見られている理沙は、中に入っていくことができない。、窓越しに相手の男の顔を見た。その男もアラブ系で、ムハマドよりは十歳ぐらい年上に見えた。浅黒い顔に真っ黒の髪。そして濃い眉毛と鋭い目は、ちょっと近寄りがたい雰囲気をもっていた。
 どうしたら近づけるか考えているうちに、省吾の顔を思い浮かべた。

著作権所有者:久保田満里子

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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