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ハンギングロック:後藤の失踪(18)

 聡子は、一度狩野に会ってみたいと思った。後藤の日記に何度も名前が出ていたし、彼は結構狩野に気があったようだ。月曜日に、聡子は早速狩野に電話した。狩野は聡子に会うことを承知してくれ、次の土曜日のお昼に会うことになった。土曜日は子供たちが日本語補習校に行って家にいないときなので、聡子には都合がよかった。
 
 狩野は聡子から電話をもらって驚いた。どうして聡子が自分が後藤と親しいと思ったのだろうか。普通なら、日本語プログラムの責任者の香川に聞くべきところなのにと、不思議だった。そう言うと、聡子はふふっと笑って、
「後藤のコンピュータに日記もどき物がありましてね。そこに狩野さんのことが何度もでてきましたから、お親しいのかなと思いまして…」
 後藤は日記にどんなことを書いていたのだろうと思うと、狩野はあまりいい気はしなかった。だが、狩野も後藤の失踪には心を痛めていたので、何かの手がかりになればと、聡子と土曜日に大学の近くの中華料理店で会うことしたのだ。
 中華料理店に約束の時間より5分早く着いたが、聡子はもう来ていた。
「すいません。お忙しいところ、およびたてしてしまって」と聡子は椅子から立って頭を下げ、丁寧にわびた。
「いえ、とんでもありません。後藤さんの行方はまだ分からないんですか?」
「そうみたいです。狩野さんが後藤に最後にお会いになったのは、いつですか?」
「先々週の金曜日ですね。お食事に誘われたのですが、翌週博士論文の中間発表をしなければいけなかったので、準備に追われていて、お断りしたのです」
「そうですか」
聡子は気落ちしたようだ。
「奥様、あ、すみません。聡子さんはずっと後藤さんの行方を追ってらっしゃるのですか?」
みんな、私のことを奥様とよぶのねと聡子は心の中で苦笑しながら言った。
「そうなんです。もう私とは関係のない人ですが、子供たちが父親の失踪に動揺していましてね。警察はハンギング・ロックの捜索を済ませた後は、行方不明としてリストに載せる以外、どうしようもないといって、捜査を打ち切ったようなので、待っていても何も起こらないと思いまして、手がかりになるものはないかと聞いて回っているんです」
「それで、何か分かりましたか?」
「私も仕事がありますからね、そんなに調査に専念できるわけではないので、遅々として進まずとというところです」
「先日お電話で後藤さんが日記のようなものを書いていらっしゃったということでしたよね?」
「ええ、それが?」
「どんなことが書いてあったんですか?」
「ハンギング・ロックでのピクニックの映画を基にして、学生に作文を書かせるというようなことが書いてありました」
「ああ、そのことなら、私も相談されたので、知っています。後藤さんはハンギング・ロックに行ったことがあるんですか?」
「いいえ、少なくとも私と一緒の時には 行った事はありませんよ。ところで、狩野さんは後藤の失踪をどのように受け止めていらっしゃいます?」
狩野は首をかしげて、言った。
「私も後藤さんの失踪の理由を色々想像したんですが、可能性としてあることは、何者かに危害を加えられて死体を分からないところに運ばれてしまった。あるいは、どこかに埋められてしまった。もう一つの可能性は、自分から姿をくらました。でも、この場合は、今の生活に不満がある場合だと思うのですが、後藤さんから悩みなんて聞いていないし、どうもぴんとこないんです」
「じゃあ、狩野さんは後藤が殺されたと思われるんですか?」
「そんなこと思いたくはないのですが、可能性を消去法で消していくと、殺されて死体はハンギング・ロック以外のところにあるとしか思えないんです」
「後藤は誰かに恨まれていましたか?」
「聡子さんもご存知のように、彼は明るくて親切な人だし、人に恨まれるなんて考えられないですね。たとえ殺されたにしても、怨恨が原因だとは思えません。だから、物取りに襲われたとか」
「むしくしゃした若者に殺されたとか」と、聡子が狩野の後を続けると、狩野は驚いたように聡子の顔を見て言った。
「日本ではそういうこともよくあるらしいけれど、オーストラリアでは、そんなこと滅多にないと思うんですけど」
「でも、可能性としてはあるでしょ?オーストラリアだってこの間知恵遅れの50代の男性にガソリンをぶっかけて火をつけて大やけどをさせた若者がいたじゃありませんか。4人、グループになって。その子達も退屈しのぎでやったって言うじゃありませんか」
「まあ、確かに若者の面白半分の犯罪は日本に限ったことではありませんが」と狩野はしぶしぶ聡子に同意して、付け加えた。
「そのほか、喧嘩の仲裁に入って、殺されたことも考えられますよね」
「それは、ありえますね」
結局、狩野は後藤が何かの事件に巻き込まれて殺されたと思っているようだった。

著作権所有者:久保田満里子
 

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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