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ハンギングロック:後藤の失踪(23)

 行こうか行くまいかと狩野の心の中で二つの思いが葛藤していたが、避難所に行って、あれが本当に後藤だったのか確かめたいという気持ちが勝った。それにもしあれが後藤だったなら、どうして身を隠す必要があったのかも聞きたかった。幸いにも今日は最高気温25度の日で、雨が降らないとはいえ火事が広がる恐れはなさそうだった。

狩野は地図を調べて行き方を確認して、車のエンジンをかけた。

一週間前にモニークと行った道のりはさほど長いとは思わなかったのに、今日は長く感じられた。あの時はモニークとおしゃべりしながら、楽しい休暇を夢見ての道のりだった。今回は火事のあとの混乱した村に入るのは不謹慎なような気がしてためらわれた。しかし、どうしても後藤に会いたい、会って聞かなければならない。

目的の広場に着いた時は、消防車やパトカーが行き来しており、非常時の緊張感は抜け切れていなかった。山火事が完全に消えたわけではないので、風の向きや天候の変化によっていつまた火事に見舞われるか分からないのだ。人の行きかう商店街を見つめながら、狩野は人探しに一番いい方法は何か考えた。狩野は、緊急に立てられた食料センターに人が集まってくるのを見て、後藤を歩き回って探すより、食料センターの近くのベンチに座って待つほうが得策だと考え、後藤がそのセンターに現われるのを待つことにした。赤十字のしるしのついたテントではボランティアのおばさんたち4,5人がコーヒーや紅茶、サンドイッチやケーキを、テントを訪れる人に手渡している。狩野もコーヒーをもらって、道端の空いているベンチに腰掛けた。食料センターに来た子供連れの若い母親、見るからに力がありそうな太い腕っ節に刺青をしている中年の男、歩くのも苦しそうな太ったお年寄りの女性、どの人も疲れ果てた顔をしていた。いつ家に帰れるのか分からないし、また帰っても、もう家は跡形もなくなっているかもしれない。皆不安な気持ちを捨てきれないのだろう。ゆっくりコーヒーを飲みながら、そんな人たちの群れを痛ましい気持ちで眺めていた。2時間経った頃であろうか。ひげを生やした後藤が、テントのある広場から食料センターに向かってきている姿が目に入った時、狩野は思わずベンチから立ち上がった。それと同時に後藤がこちらに気づくと逃げられるかもしれないという不安が襲ってきた。後藤が十分こちらに近づくまでは、自分の姿を見られないほうがいいと即座に判断した狩野は、食料センターの隣にある雑貨屋に身を隠した。1,2,3と数を数えながら、50まで数えた時は、後藤がもうセンターの近くに来ているはずだと雑貨屋から頭だけを出すと、いましも食料センターに入ろうとしている後藤の姿が見えた。慌てて雑貨屋を出ると、後藤の背中に向かって小走りで近づいた。後藤はまだ狩野に気づいていないようだ。後藤の背中に触れるほど近づいたとき、狩野は後藤の肩をトントンと軽く叩いた。後藤は振り向くと、狩野の顔を見て、はっとしたようだ。まずい人物に会ったというふうに、慌てて狩野から逃れようとする後藤の腕を捕らえて、狩野は「後藤さん。どうして逃げるの?」と思わず大きな声で言っていた。周りにいたオーストラリア人のおじさんやおばさんの目がいっせいにこちらに向いた。勿論彼らには狩野の言った日本語の意味はわからなかったはずだが、狩野のきつい口調に、なにやら、訳がありそうだと感じたようだ。

「人が見ているわ。どこか静かなところに行って、話さない?」

後藤も周りの好奇心溢れる人の目が気になったようだ。黙って、うなずき、狩野に腕を引っ張られる格好で、食料センターを離れ、広場にはられたテントの間を通り抜けて、広場の端の木陰にある丸太の柵に腰かけた。

後藤から手を放した狩野は改めて後藤の顔を見た。

「やっぱり、後藤さんだったのね。テレビに映ったとき、後藤さんの顔を見て信じられなかったわ。皆もうあなたは死んでいるとばかり思っているし、私もそう思っていたわ。ずっと、キングレークに身を隠していたの?どうして?」

狩野は聞きたいことが多すぎて何から聞けばいいか分からず、矢継ぎ早に質問した。

後藤は、狩野の顔を避けて、広場のテントのほうを眺めていた。その横顔は固く、無言のままだった。

「後藤さん。言いたくないのかもしれないけれど、後藤さんから事情を聞くまでは、私、後藤さんの側を離れないからね」

それを聞くと、後藤はようやく狩野の顔を見た。

「どうしてほっといてくれないんだ?」

それを聞くと狩野はきっとなって、言った。

「私達、気の合う友達だったじゃない。少なくとも私はそう思っている。だから、あなたがいなくなって、あなたに一体何が起こったのかしら、殺されたのではないかしらと、眠れない日が続いたわ。こんなに心配した私に対して、そんな言い草はないでしょ」

「ごめん」

後藤はぽつんとそれだけ言うと、また目を広場に戻した。

著作権所有者:久保田満里子

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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