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ヒーラー(13)

私は二人の頑強な男に左右を挟まれて、ビジネスクラスの切符を手に、北京行きの中国国際航空に乗るはめになった。オーストラリアから北朝鮮行きの直行便なんてないのだ。北京で北朝鮮行きの飛行機に乗り換えるのだろうと、想像した。左隣の席はキムが座り、右隣にはキムの部下が座った。私を誰とも話させないためだった。

機内食の中国料理を食べると眠気がもよおし、私はそのまま眠ってしまった。

目が覚めたときは機内はざわざわしていた。

「当機は間もなく北京に到着します。皆様、席にお戻りになりシートベルトをご着用ください。また席は元通りの位置にお戻しください」というスチュワーデスのアナウンスが聞こえた。英語でそういった後、今度は中国語でのアナウンスが聞こえた。同じ意味のことを言っているのだろう。

私はまだ寝不足のようなぼんやりした頭で、北朝鮮には、これからどのくらいかかるのだろうかと思った。トイレに行こうと立ち上がったら、キムに腕を引っ張られた。「トイレよ」と言うと、仕方なさそうに手を放したが、私の後からついてきた。狭いトイレに入ると、不安が頭をもたげかけた。ミョンヒなんて人を治癒しさえしなければ、こんなことにならなかったのにと思うと、ため息がでた。

北京の空港は、オリンピックに備えて作っただけあって、近代的な設備を備えた空港だった。今や、日本よりも世界に対する発言力の強くなった中国だけのことだけはあった。近頃はオーストラリアは、毎日中国のことが話題にならない日がない。中国語の話せる人がオーストラリアの首相になったとき、首相の演説で中国と言う言葉は29回でてきたのに、日本と言う言葉は3回しか出てこなかったと誰かが言っていたのを思い出した。空港で乗り換えた北朝鮮行きの飛行機は小さく古かった。搭乗定員120人だということだが、空席が目立った。乗客は50人にも満たないであろう。相変わらず私の周りにはキムとキムの仲間が目を光らせており、おとなしくしている以外なかった。機内は寒かった。その時初めて、自分がTシャツとジーパンの姿なのに気づいた。オーストラリアは初夏だったが、北半球は暖房が効いていないようだ。「寒いわ」とキムに言うと、キムは乗務員を呼び止めて、毛布を持ってこさせた。私は毛布を肩からかけて鳥肌が立って冷たくなった腕を暖めた。飛行機が飛び立つと揺れがひどく、私は飛行機のエンジン故障が心配になったほどだ。キムは揺れも気にも留めていない風で、乗務員から渡された韓国語の新聞を読んでいた。ピョンヤンには1時間で着いた。ピョンヤンの空港は小さく、田んぼの中にコンクリートを流して作った滑走路と近代的なコンクリートのビルがあるだけだった。北京やオーストラリアの空港では飛行機が直接空港のビルに横付けになりタラップを降りる必要がなかったが、ピョンヤンではタラップを降りなければいけなかった。外に出ると外気が冷たく私は思わず身震いをした。ぶるぶる震えながら、両腕を交錯させて手で腕を握った。滑走路の周囲を走る小さなマイクロバスに乗り換え、閑散とした空港のビルに入った。ビルの中は暖房がきいているだろうと思ったが、ビルの中も寒かった。キムがくれたパスポートを見せると税関を難なく通れた。ビルの外に出ると、黒い外車が待っていた。キムが手配しておいたようだ。三人とも黙って後ろの席に座った。キムが行き先も言わないのに、車は走り出した。キムのおじさんの家に直行するつもりなのだろうと想像できた。このたびは目隠しをされなかったが、窓が暗く、おまけに左右も前も人の頭で阻まれ、外の景色は見ようにも見られなかった。ただ車が街中を通り越して、林のようなところを走っているのだけは分かった。極端に方向音痴の私は、たとえ景色が見られたとしても、迷わないで、また空港に行くなんて事はできそうもなかった。林の中を1時間走った頃であろうか。大きな門があって、門の側に人民兵の服を着た男が両側に一人ずつ銃を持って立っていた。

運転手が窓を開けて、二言三言と門番をしていた兵士と言葉を交わすと、兵士たちは直立不動の気をつけの姿勢になって、車を通してくれた。

車は砂道を落ち葉を踏みつけてバリバリ音をさせながら、ゆっくり進んで行き、大きな古いが威厳を感じさせる家の前に停まった。

車からキムに腕を引っ張られるようにして出た私は、そのまま建物の中に連れられていった。

建物の中に入って、旅行中一言も口をきかなかったキムが始めて口を開いた。

「早速、おじに会ってほしい。そしてなんとしてもおじの病気を治してほしい」

威嚇するようにキムは言った。

「キムさん。できるだけのことはしますが、必ずしも私の力で病気が治るわけではありません。本人の生きたいと思う気持ちがなければ」

「大丈夫ですよ。おじは何としても生きたいと思っているはずですから。フランスからも名医だといわれる人に来てもらって見てもらったのですが、一向に回復する様子がみられないのです。あなたが最後の頼みの綱なんですよ」

「おじさんの病気と言うのは、何なんですか?」

キムはため息をついて、

「脳梗塞です」と、言った。

長い廊下を歩いていくと、一つのドアの前でキムは足を停めて、コツコツと静かにドアをノックした。すると、中からドアが開き、白い制服を着た看護師がでてきて、キムに向かって深くお辞儀をした。キムはその看護師を無視して、つかつかと部屋の中に入って行った。その部屋は、まるで大病院の集中治療室のように、最新の医療器材が備えられていた。

中に入っておじさんのベッドのそばに立ったキムは、自分も中に入ったほうがいいのかどうか迷っている私に向かって、こっちに来いというように、手招きした。

私は薄暗いその部屋に入って行き、大きなベッドの側に立っていたキムの側に立ち、ベッドに寝ている病人の顔を見た。薄暗い中で最初ははっきりとその顔が見えなかったのだが、目が暗さに慣れてきて、その顔をはっきりと見た時、私は驚きで声をあげそうになった。

著作権所有者:久保田満里子

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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