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ヒーラー(15)

「それじゃあ、またおじのために祈ってくれ」とキムは言い、またキム・チュンサンの部屋に連れて行かれた。昨日までの丁重だったキムの態度がぞんざいになったのに気が付いた。きのうを治せなかった私に腹を立てているのだろう。

私は、その前の晩のように、悩まなかった。キム・チュンサンが助かるか助からないかは神のご意思によるのだ。そう自分に言い聞かせた。実際には全ての責任を神に押し付けることによって、私は心の安らぎを得たに過ぎない。そうすると、祈りに集中することができた。今までたくさんの人の病気快癒のために祈った時と同じように、一心不乱に祈った。何時間経ったのか時間の感覚は全くなくなったが、背後でキムの声がして、我に返った。

「だめなようだな」落胆を隠し切れない声だった。

チュンサンを見ると、祈る前と変わっていなかった。目をつぶったまま高いびきをかいていた。神は、やはりこの男が生き延びることを望んでおられなかったと思うと、心の奥底でほっとしたが、私も落胆を装って言った。

「そうですね。私の力ではどうしようもなさそうです」と言った。

「一休憩してくれ」とキムは言った。

「食事を出すから、ついて来い」と言われ、私は黙ってキムの後からついて行った。私の後ろからは彼の部下がぴったりついてきた。私が変な気を起こして、逃げ出したり、キムに襲い掛かるのを用心したのかもしれない。建物の出口の近くまで来ると、エレベーターがあった。そのエレベータの横の壁についている番号のついている盤に、キムは何やら番号を入れたようだ。彼の大きな背中に隠されて、暗証番号は、分からなかった。エレベーターの扉が開くと、キムが先に乗り、続いて私、そして部下の三人がエレベーターに乗った。エレベーターは下に下りはじめた。10分も乗っていただろうか。エレベーターの中では誰も話すことはいなかった。エレベーターが開いたところは、大きな廊下になっていた。まるで都会の地下鉄の駅の広場のように広い廊下だった。そこを100メートルくらい歩いていくと、その突き当りにはまたエレベーターがあった。そこでも何やら暗証番号のようなものを入れるとそのエレベーターも扉があき、三人が乗ると今度は上昇し始めた。またその扉が開いたところは、大きな食堂のような部屋になっていた。テーブルには様々な料理が載っていた。

「食べてくれ」

そう言われて、テーブルにつき、おいしそうな匂いを漂わせる鴨の肉に手を伸ばしたところ、

「洋子さん。お久しぶりです」と言う女の声が背後でした。声の主を見ると、キム・ミョンヒだった。こんな所でミョンヒに会うとは思っていなかったので、私はびっくりしたが、よく考えると、ミョンヒはキムの妹なので、驚くべきことではなかったのかもしれない。

「ミョンヒさん!」

一瞬驚きの声をあげたが、その後は私は憤りの感情に襲われた。

「ひどいじゃありませんか!」

私の剣だった声に、ミョンヒの顔から笑顔が消えた。

「すみません。兄がこんなことをするとは思っていなかったのです」

ミョンヒは本当にすまなそうに私にわびた後、キムに向かって

「お兄さん。洋子さんは私の命の恩人よ。それなのに、無理やりここに連れてきて、洋子さんをどうしようと言うの」と、キムにとがめるように言った。

「いや、おじさんの命を助けたい一心で、お前を治したという洋子さんにきて貰ったんだよ」

それを聞くと、ミョンヒの顔に皮肉な笑いが浮かんだ。

「おじさんの命を助けたいというよりは、おじさんの命を助けて恩を売って、出世したいというのが、兄さんのねらいじゃないの?」

本当のことをつかれたためか、キムは顔をまっかにして怒り始めた。

「何を言っているんだ。お前はおじさんが助からなくてもいいと思っているのか?」

「そんなことは言っていないわ。私だっておじさんに長生きして頂きたいわ」

ちょっと言い過ぎたと反省したのか、とりつくろうように言った。

「もうお客様の前でけんかするのはよしましょうよ。せっかく洋子さんに来ていただいたのなら、おじ様の病気快癒を洋子さんに祈って頂きましょ」と言うと、私の方に向き直って

「すみません。洋子さんの前でつまらないこと口走ってしまって」と言ってわびた。

そして

「それでは、私もお食事を一緒にさせてもらおうかしら。いいですか?」と、私の返事を待たずに、私の隣に腰掛けた。

それを見ると、キムが血相を変えて、

「それは、お客様に食べてもらうために用意したものだ。一緒に食べるなんて失礼じゃないか」とミョンヒを怒鳴りつけた。

ミョンヒはキムの剣幕に唖然とした様子で

「何も、そんなに怒らなくてもいいじゃない。洋子さんだって、こんなにたくさんの食べ物を一人では食べきれないでしょ?」

キムの言葉を無視して箸を持ったミョンヒの手を、キムはものすごい勢いで払った。箸が部屋の片隅まで飛び、ミョンヒも私も驚きで目をみはった。するとたちまちミョンヒの顔から血の気が引いていき、

「まさか!」と言って、キムを見た。そしてキムのこわばった顔を見ると、次の瞬間、私に

「洋子さん。その肉食べちゃだめ!」と大声で言った。

私は何がどうなっているのか分からず、目を白黒させるだけだった。

著作権所有者:久保田満里子

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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