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ヒーラー(23)

~~いよいよ包帯をとる段になると、恐れよりも期待で胸が膨らんだ。どんな美人になっているだろうか?リー医師はゆっくりとデリケートなものにふれるように慎重な手つきで包帯をとっていった。そして全部を取ったとき、驚いたように「あっ!」と言った。そばにいた野上も驚いて手で口を塞いだ。私は彼らの反応を見て悪い予感に襲われた。
「どうしたんです?鏡をください!」私は頼んだが、リー医師も看護師も野上も呆然としたように立ちすくんで動かなかった。私は一段と声をはりあげて、ヒステリックに叫んだ。
「野上さん。鏡を持ってきて!」
野上は一瞬迷ったようにリー医師の顔を見た。リー医師がかすかに頷いたのを見て、野上は洗面所にあった手鏡を持ってきて、私に渡してくれた。
それを受け取って、私が鏡に見たものは、モンスター、いや魔女と言ったほうが適切かもしれない。奇妙奇天烈な顔だった。鼻はわしばなのようになり、それも曲がっていた。両方の目の大きさがちぐはぐで、その上右目のmabutaはまるでお岩さんのように腫れ上がってこぶができていた。私は余りのショックで、手鏡を落としてしまった。これが自分の顔だなんて信じられなかった。
「ひどい、ひどいわ」
私はショックから立ち直ると、泣き崩れてしまった。
リー医師は私の様子を戸惑ったように眺めて、すごすごと病室から出て行こうとした。
「ちょっと、待って。まさかこのままで退院しろと言うんじゃないでしょうね」咎めるように言った。
ドアの外で振り向いたリー医師は
「失敗は認めますが、全然違った顔にしてほしいというご注文にはお答えしたと思います」
と冷徹に言い放った。確かに今までの私と似ても似つかぬ顔だ。
「もう一度、手術をして!」と言いかけて、口をつぐんだ。これ以上ひどい目に遭うだけかもしれない。それに手術をすればそれだけこの国からの脱出が遅れる。そう思うと、言いかけた言葉を喉にしまいこんだ。しかし、腹の虫はおさまらず、ドアの外を出かけたリー医師の背中に向かって、思い切り枕を投げつけた。枕はリー医師の背中に見事に命中し、リー医師は驚いたように私を振り向いたが、その顔は怒りで真っ赤になっていた。
「何をするんだ!」
「あんたが藪医者だと知っていれば、整形なんか頼まなかったのに!」
その言葉はリー医師のプライドをひどく傷つけたようだ。
「何を!」と言うや否や拳を振り上げたが、すぐに理性を取り戻し、拳をおろした。しかしその手は怒りでぶるぶる震えていた。そしてそのまま背を向けると、荒々しく部屋を出て行った。
突然こんなところにいつまでもぐずぐずしていたくないと言う思いがこみ上げてきた。
医師が部屋を出て行くと野上に向かって命令するように言った。
「すぐに出国の手配をして!」
野上は今までめそめそ泣いていた私が俄然エネルギッシュになったのに戸惑ったようだ。当惑した面持ちで、
「それじゃあ、顔写真を撮ってパスポートを作らせましょう」と言い、カメラを持ってきて私の顔写真をとると、どこかに消えてしまった。
翌日野上が帰ってくると、「カン・ヘホン」と書かれて私の醜い顔の写真が貼り付けられたパスポートを手にしていた。
「航空券も手配しました」
「出発はいつ?」
「今日の午後5時です」
「じゃあ、もう7時間もないってことね」
「そうです」
海外に旅行となると色々準備をすることがあるような気がしたが、よく考えてみると、自分には何も持っていくものがないことに気が付いた。しかし、たとえピョンヤンから北京まで一時間の飛行時間とはいえ、手ぶらで飛行機に乗るのはおかしい。
「手ぶらで飛行機に乗るのはおかしいから、小さいスーツケースでも買いたいんだけど」
お金を持っていない私は、少し気後れしたが、言ってみた。
野上は「準備は、できています」と言うと、部屋を出て行き、しばらくすると小さな紺色のスーツケースを持って、戻ってきた。
スーツケースを渡されて、開けてみると、下着類と衣類が入っていた。
「それはミョンヒ様からのプレゼントです」
ミョンヒに感謝するとともに、彼女の安否が急に気遣われた。
「ミョンヒは元気にしているの?」
「ええ、お元気です」
野上はいつも返事は簡潔で余計なことを言わない。そういう風に訓練されているのかもしれない。
「もう退院の手続きをすませましたから、いつでも出発できます」
「ここから空港までどのくらいかかるの?」
「2時間かかります」
「それじゃあ、もう出発したほうがいいわね」
そう言うと、私はスーツケースを手にとって、歩き始めた。
こんなところに必要以上に長くいたくない。そんな気分だった。
この一ヶ月間、病室を出ることもなく過ごした身には、廊下を歩くのも新鮮に感じられた。しかし、自分に向かって歩いてくる人々が、皆通り越しては振り返るのに気づいて、自分の新しく与えられた醜い顔を思い出した。人も振り返るような美人になるかと期待に胸を膨らませて入院したときのことを思い出した。確かに人が振り返るが、それは余りにも醜いからだからと自嘲した。
自分の整形後の顔を見てからは、鏡を見ることがこわくなった。洗面所に行っても、下を向いて鏡は見ないようにした。見ると絶望で落ち込んでしまうのが、目に見えているからだ。くさいものはふた式に、私はいやなことは見ないで、今やるべきことに神経を集中させることにした。

著作権所有者:久保田満里子

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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