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隣人の死 (前編)

 夜勤明けで我が家に疲れて帰ったときのことだ。隣の家の周りが警察の青いマークの入った白いテープでとりかこまれ、テープの周りに人盛りを見た時、眠気に襲われそうだった私は、驚きですっかり目がさめてしまった。すぐに自分の家の駐車場に車を停めると、人盛りのしているその中に2軒先の隣人のシャロンの姿を認めて、シャロンの肩を後ろから叩いた。
「何か、あったの?」
シャロンは、私の姿を認めると、
「文子、何も知らないの?」と、反対に聞かれた。
「今、夜勤明けで、帰ってきたところなのよ」
そう言うと、シャロンは納得したように言った。
「ああ、だから、まだ何も知らないのね。実は、ビビアンとアーサーが殺されているのを、今朝ビビアンの友達が尋ねてきて、見つけたのよ」
「え?殺された?」
私は、この平和でのんびりしたメルボルンの郊外の住宅地で、殺人事件が起こったなんて信じられなかった。それに、よりによって、お隣さんである。アーサーもビビアンも確か60代前半で、二人とも退職して間もないはずだ。そんなことを思っていると。
私たちの会話を側で聞いていた、テレビ局の腕章をつけた男が、私たちの側に近づいてきた。
「被害者を、ご存知なんですか?」
私達は、黙って、こっくりうなづいた。そうすると、マイクを私たちにつきつけて、
「被害者は、どんな方たちでしたか?被害者について知っていることを教えていただけませんか?」と、聞いた。
シャロンは、「とってもいい人達でしたよ。だから、どうして殺されたのか、訳がわからなくて…」と、答えた。
私は思わずシャロンの顔を見た。「いい人達ですって?」心の中で思った。確かにビビアンはいい人だったけど、アーサーをいい人なんていうシャロンの気が知れなかった。私は黙って、シャロンの言うことを側で聞くだけにすることにした。
「ご主人は去年まで市役所に勤めていて今年退職され、奥さんは近くの救世軍のお店でボランティアーをしていましたよ」
「そうですか?お宅とは、どういったお付き合いをされていましたか?」
「まあ、年に一回、クリスマスの頃は、このあたりの住民が集まって、近くの公園でバーベキューパーティーをしていましたが、そのパーティーには積極的に出てきて、世話役のようなこともしていました」
「そうですか」
「犯人を早くつかまえてほしいですね。それでないと、夜も安心して寝られません」
「そうですね。ありがとうございました」
やっとテレビ局の男から解放された私は、思わず小声でシャロンに聞いた。
「あの人達をいい人達だったって、シャロン、あなた本当にそう思っているの?」
シャロンは、私の質問にすぐに答えた。
「とんでもない。でも、テレビのマイクに向かって、アーサーがひどい男だった。だから殺されるのも無理はないなんて言える?それこそ、すぐに容疑者の一人にされるわよ」
シャロンの言うことはもっともだった。アーサーの被害者はシャロンも私と同じだったから。
家に帰って、すぐに寝るつもりだったが、目がさえて眠れなかった。そして、先日のアーサーとのやり取りが思い出された。
その日、朝ごはんを食べていると、ドアのチャイムが鳴った。ドアを開けると、いかめしい顔つきののっぽのアーサーが目を吊り上げて立っていた。また、息子のアロンのことで文句を言いに来たのだと、すぐに分かった。
「夕べ、あんたとこのアロンが、うちの郵便受けを壊したので、弁償してもらいに来た」まるで機関銃の玉のように早口で言った。
「夕べですか?」
「そうだ。夕べだよ。きのうの夕方まではちゃんと郵便受けがあったのに、今朝起きてみると、めちゃくちゃに叩き壊されていた。また、あんたとこのアロンがやったんだろう」
私は何かあるとすぐにアロンを非難しに来るアーサーにはうんざりしていた。
「夕べなら、うちのアロンが犯人じゃありませんよ」
「どうして、そんなことが言える。うちの子に限って、そんなことをするはずがないって、どこの親も思うらしいが、あんたとこのようにシングルマザーで男の子の育て方も知らないような女に育てられたから、あんな出来損ないの子供ができるんだ」
いつもの侮辱が始まった。
「でも、夕べなら、アロンにはちゃんとしたアリバイがありますよ」
余り言いたくないアリバイだったが、これほどまでに侮辱されたら、こちらも黙ってはいられない。
「アリバイ?」
「そうですよ。うちの子は夕べ警察に補導されて、留置所にいたんですから、そんなことできるはずないですよ。今息子の身請けをしに行くところなんですから、かえってください!」
これにはアーサーも驚いたようだったが、私はアーサーの返事も待たず、ドアを思いっきり閉めた。それが、私が見た生きているアーサーの最後だった。
確かに私はアロンには手を焼いていた。離婚後に看護師をしながらアロンを育てているが、高校生のアロンはマリファナを吸ったり、ナイトクラブに行って、お酒を飲んで暴れたりと、私のお説教も、嘆願も耳に入らない。その日もナイトクラブに行ってお酒を飲んで、喧嘩をしたと警察から連絡があったところだった。
アーサーはシャロンの息子、ジョージともトラブルが絶えなかった。ジョージはロックバンドを作っていて、裏庭にある物置小屋で、練習をするのだが、その音たるや、すさまじく、アーサーがそのたびに警察に通報するので、アーサーとジョージは犬猿の仲だった。
ベッドに入っても、誰がアーサーたちを殺したのか思うと、アロンの顔が思い浮かんだ。「いや、そんなことはない」と思っているうちに睡魔に襲われた。
翌日から、私はアロンの様子を観察したが、アロンはいつもと様子が変わらなかった。いつものように、ふてくされた顔をしてご飯を食べ、食べ終わると、無言ですぐに家を出て行った。テレビの朝のショーでは、アーサー夫妻の殺人の話で持ちきりだった。シャロンのインタビューも出てきた。
「アーサーとビビアンは、ナイフでめったきりにされ、顔も判別できないほどに残酷な殺され方だったということです。また、警察によりますと、無理やり外部から侵入した形跡は見当たらず、顔見知りの犯行かと思われます」
「顔見知りの犯行か…」私は思わずつぶやいた。自分の息子のことを信じたいが、最近アロンのことを私は全く理解できなくなっていた。だから、もしかしたらという思いが、頭について離れなかった。アーサーに最後に怒鳴り込まれた日、アロンを警察に引き取りに行った帰りに、アーサーのことを話したら、「あの野郎、いつも俺を悪者にする。あんな奴なんて、死んじまえばいいんだ!」と悪態をついていたアロン。アロンに殺意が全くないとは言えない。アーサーたちが殺されたことを知った時も、「あんな奴いなくなってせいせいしたよ」と、晴れ晴れとした顔をしていたアロン。「まさか、あんたが殺したんじゃないでしょうね」と何度も口からでかかったが、その後の反応を考えると恐ろしくて、その言葉を飲み込んだ。
毎日アロンを観察したが、いつもの様子と変わりなかったが、私の疑惑はなくならなかった。


著作権所有者:久保田満里子

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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