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百済の王子(8)

第二章: 豊璋

 百済の王子、豊璋と、 豊璋の妻子、及び豊璋の弟の禅広は一ヶ月の船旅を終えて、2月2日に難波の都に着いた。その頃は、倭国も舒明天皇が亡くなられたばかりで、舒明天皇の皇后だった皇極天皇が即位されて、あわただしい時であった。それでも、到着後20日目に、天皇をしのぐほどの権力を誇ると言われる蘇我蝦夷が、天皇の代理として、 豊璋たちの一行を食事に招き、歓待の席を設けてくれた。 豊璋は、久しぶりに口にする美味と酒に、心がほぐれる思いがした。
その宴の席で、
「豊璋殿、拙宅は粗末でありますが、もし良かったら、拙宅にいらっしゃいませんか?」と、声をかけてくれる者があった。見ると安曇比羅夫(あずみのひらふ)であった。比羅夫は舒明天皇の使いとして百済にいたときに舒明天皇の訃報を聞き、百済の弔使と共に、百済から戻ってきたばかりの外交官である。百済にいるときに 豊璋は、何度か声を交わしたことのある人物だった。これからの暮らしに不安を感じていたところであったから、比羅夫の申し出は、ありがたかった。すぐに、
「かたじけない。それでは、お言葉に甘えて、これより安曇殿に厄介になることにしよう。よろしく頼む」と、言うと。
「こちらこそ。百済の王子様に来ていただけるのは至極光栄でございます。ただ、王子様に満足していただけるように暮らしていただけるかどうか、ちと心配でございます」と比羅夫は笑顔で答えた。
比羅夫に誘われて2日後、 豊璋が連れて行かれた安曇山背の家は、大きな門構えではあったが、わらぶき屋根の、 豊璋が百済で暮らした宮殿とは、比べ物にならないくらい、みすぼらしい家であった。しかし、人質の身では、文句も言えない。妻子といっしょに暮らせるだけでも幸せかもしれないと思い直した。 豊璋たちは、比羅夫の家の離れ屋で、生活をし始めた。2月なので、まだ寒く、オンドルで暖められた宮殿のことを思い出し、時折ため息がでた。
 豊璋が、皇極天皇に拝謁できたのは、その歓迎会から2ヶ月も過ぎた4月8日のことだった。その日は、青空が行き渡る暖かい日だった。豊璋が従者を後ろに控えさせて、天皇のいらっしゃる御殿に赴くと、板間の一段と高くなっている壇上に簾がたれており、はっきりとは顔を見られなかったが、皇極天皇が、壇上に座っているのが、シルエットのように見えた。壇上の前に敷かれた鹿の皮に座らせられた豊璋は、平伏して、深々と頭を下げた。その 豊璋の頭の上を通り抜けるように、天皇の男のように低い声が聞こえた。
「この度の長旅、疲れておろう。よくいらしてくださった。王子は安曇山背連の館に住まわれておると聞いておるが、何か不自由なことがあれば、遠慮なく、安曇比羅夫に申されよ」
「ははあ。ありがたき幸せ」と、 豊璋は、一段と頭を低く垂れた。
天皇との拝謁は、それで終わった。
短い拝謁ではあったが、緊張していたさいか、その晩は豊璋はひどく疲れを感じた。
その2日後に、 豊璋は、再び蘇我蝦夷から、食事の招待を受けた。蝦夷と顔を合わせるのは、2月の歓迎の宴以来のことであった。2月の宴では、高麗の使いも一緒だったせいか、余り個人的に話すこともなかった。高麗の使者は2月末にはすでに帰っていたので、このたびは、弟の禅広と二人だけが招待を受けた。
 豊璋と禅広は、畝傍(うねび:今の奈良県橿原市)にある蝦夷の屋敷の前に到着すると、その壮大さに目を見張った。天皇の御殿と余り大差はないように思われた。門の前には門番の兵が4人ばかり、いかめしい顔をして立っていた。そして、案内されたところは、見晴らしのよい高台であった。高台には蝦夷が笑顔を浮かべて待っていた。
「 豊璋殿、禅広殿。よくお出で下された。さあ、座ってくだされ」
 豊璋は座る前に周りを見回して、その景色の素晴らしさに目を見張った。高台の下は大きな池があり、池には白にオレンジ色と黒の模様をつけた大きな鯉が何匹も群れになって泳いでいるのが見られた。池には橋がかけられ、橋のたもとには桜の花が咲き乱れ、そのピンク色の花びらが、青い空に浮かび上がっていた。遠くには山が見え、高台は静寂に包まれていた。
「なんと、美しい景色ですね」と、たたえると、蝦夷は顔をほころばせて、
「いや、お気に召して、何よりです」と、満足そうだった。
高台から2,3キロ離れたところに、立派な建物が見えた。
「あの、建物は、どなたのお住まいですか?」と豊璋が聞くと、
「あれは皇極天皇の宮殿ですよ」と言う答えが戻ってきた。
「宮殿を見下ろせる場所にお屋敷を持たれているのですか?」と豊璋は驚いて聞いた。百済では、宮殿を見下ろせるような所に、宮殿と変わらないような立派な屋敷を臣下に持たせるなんて考えられないことだった。それはとりもなおさず、蘇我氏が天皇以上の権力を持っているという証のように思われた。
蝦夷は痛快そうに笑った。

 

著作権所有者:久保田満里子

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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