Logo for novels

百済の王子(13)

~~セーラは淡々とした口調で、大海人皇子の質問に答えた。
「実は私にも、どうやってきたか記憶にないのでございます。考えられますのは、私の乗ってきた船が難破して、ここにたどり着いたものの、記憶をなくしてしまったのではないかと思います」
「記憶にないと申すのか?よもや、うそをついているのではないだろうな」と、額田王は、射るような目で、セーラの顔をじっと見た。そのきつい口調は、大海人皇子のセーラに対する関心に嫉妬しているのではないかと、セーラには感じられた。
すると、今までずっと黙っていた 豊璋が初めて口を開いた。
「額田王様。この者を私にいただけぬものでしょうか?」
額田と大海人皇子は驚いた顔をして、 豊璋の顔を同時に見た。
「この者を引き取って、どうされるおつもりか?妾にでもしますかな?」と大海人皇子はからかうように言った。それを聞いたとたんセーラの顔から血の気が引いていった。
『妾?冗談じゃない』
セーラの顔をずっと見ていた 豊璋は、静かな笑みを浮かべて、
「何やら、事情があるようですので、私の手元において、記憶でも呼び起こせとうございます。この者の国はどうやら技術のすすんでいる国のようでございます。もしこの者が自分の国への行きかたを思い出し、その国に案内してくれれば、倭国はとって有益ではないかと思いますが、いかがなものでしょうか」
「ほほう。人質である百済の王子が倭国のことを考えてくださるとは、ありがたきこと」大海人皇子は 豊璋の真意が分からないと言った表情で、皮肉をこめた言い方をした。
「確かに人質の身でこのようなことを願い出るのは身分不相応に思われるかもしれませんが、私にはもう百済に帰ることなど考えられませぬゆえ、倭国に骨を埋める覚悟でございます。ですから、少しでも倭国のためにお役に立ちたいと思うしだいです。額田王様には、皇極天皇の側近としてのお役目がございますし、大海人皇子様には、兄上の中大兄皇子様と共に、母君である皇極天皇のお側で政治を補佐される大事なお役目があり、お忙しいことでしょう。それに比べて人質の私には何もやることがなく暇ですから、この者から時間をかけて色々話を聞いて、技術改善にお役に立ちたいと思うしだいです」
「私が母君の補佐で忙しいと本当に思われているのですか?母君には蘇我入鹿と言う有能な補佐がおりますから、私も兄上も政治にかかわることもなく、 豊璋殿と同じように暇な身ですよ」
そういったあと、大海人皇子は、外国の王子に、朝廷の内争をもらしてしまったことを少し悔いたように、口をつぐんだ。
その後長い沈黙が訪れたが、それをとりなすように額田王が言った。
「 豊璋様は、きっとこの者の美貌に惹かれたのでございましょう。お気に召したとならば、差し上げますわ」
『なんだ、人を物のような言い方をするなんて、なんて失礼な女なんだろう』
セーラは額田王に対して反感を持って額田をにらみつけたが、額田は涼しい顔をしていた。額田王としては、大海人皇子にセーラを引き渡すより、豊璋に渡したほうが、心やすまると思ったようだ。
 豊璋は、額田の言葉に、
「ありがとうございます」と、頭を下げた。
額田は、従者に
「この者を 豊璋様に差し上げるゆえ、身づくろいをさせよ」と言うと、
従者たちは「ははあ」と額田に頭を下げ、二人でセーラの横脇に両側から手を差し入れ、ひきずるようにしてセーラを連れて行った。
セーラは屋敷の裏庭に連れて行かれて、着ているものを二人の下女たちによってたかって剥ぎ取られ、大きな桶のようなものに入れられた。衣服を脱がされただけで寒かったのに、頭から水をぶっかけられた。思わず水の冷たさにぶるぶるふるえていると、下女たちが藁でつくったようなタオルらしきもので、ごしごし体をこすりはじめた。その乱暴さに皮膚がひりひりして悲鳴をあげそうになった。それが終わると布を渡され、体を拭くと、こざっぱりした着物を渡された。着物と言っても、セーラの知っている着物とは違っていた。丈が短く、膝までしかなかった。それにパンツをくれない。この時代には、どうやらパンツなんてものははかなかったらしい。おまけに靴の代わりに出されたのは、わらじだった。これでは寒くて仕方がない。がたがた震えながら、 豊璋の前に連れて行かれた。 豊璋はちょうど額田王にいとまごいをするために前庭にいた。
「それでは、額田王様、大海人皇子様、いろいろおもてなしありがとうございます。
それでは、失礼をします。いつか我が屋敷にもおいでくだされ」と、額田王と大海人皇子に丁寧に頭を下げると、
「それでは、参ろう」と供の者に言うと、馬に乗り、さっさと先頭を行き始めた。セーラは、どうしていいのか分からずまごついていると、 豊璋の供の者が後ろを振り返り、
「早く来ぬか」とせきたてた。
慌てて、 豊璋の一行の後についたが、これからどこに行くのか、 豊璋が自分をどうしようとしているのか、不安な気持ちが先立ち、足取りは重かった。第一、この 豊璋なる人物が何者なのか、セーラにはさっぱりわからない。 豊璋は、見掛けは背が高く、たくましい感じであったが、好きとか嫌いとかという感情は何もおこらない。それなのに、愛人にされるのは、ごめんこうむりたい。とセーラは心の中で思った。
セーラは身長168センチと、オーストラリア人の中では小柄なだったが、 豊璋の供達は背が低く、160センチもないらしく、自分が大女に思えた。 豊璋は、家来達よりは背は一段と高く、セーラよりも高いので170センチ近くあるように思われた。 豊璋の供の者は5人で、二人が 豊璋の前を歩き、一人は 豊璋の馬のあとにつき、二人がセーラの監視役を兼ねて、セーラの両側を歩いた。
この日は天気も良く、日が射してきて、歩いているうちに寒さから来る体の震えはとまった。
人家は見当たらず、畑や田んぼが広がっている。時折黄色やピンク色の花がついている雑草のような物が見られた。遠くに小高い山が見えた。自分にどんなことが待ち受けているのかはっきり分かっていたら、こののどかな美しい風景を楽しめる気持ちのゆとりがあったのかもしれないが、セーラは、どうしたら、オーストラリアに、いや2015年の日本に帰れるだろうかと、そのことばかり考えて、周りの景色は目に入らなかった。

著作権所有者:久保田満里子
 

関連記事

サザンクロス駅

大陸間鉄道への玄関口は、サザンクロス駅だ。アデレードへと出発!!

最新記事

カレンダー

<  2024-04  >
  01 02 03 04 05 06
07 08 09 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        

プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

記事一覧

マイカテゴリー