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百済の王子(24)

何分立ったのだろう。段々セーラの力も尽きてくる頃、フット、豊璋の奥方が息を吹いた。

「しめた!」と思うと、また力が出てきて、人工呼吸を続けると、奥方の顔に少しずつ赤みが出てき始め、ついに奥方が薄目を開けた。すると、 豊璋は、奥方の顔を覗きこんで、大きな声で何か韓国語で言った。多分「私が誰か、わかるか?」ときいているように思えた。すると、奥方はかすかだが、うなづいた。

 豊璋は喜びを隠し切れない様子で、「タイギダ、タイギダ」と言いながら、奥方の手を固く握った。すると、奥方は最後の力を振り絞るように、韓国語で何か言ったかと思うと、事切れた。セーラには韓国語は分からないが、奥方の最後の言葉、「コマスミダ」と、言う言葉が耳に残った。

妻が一旦生き返ったと喜んでいた 豊璋は、それがぬか喜びだったと分かって、妻にすがりついて、号泣した。セーラも奥方が生き返ったと信じたのに、たった一言言葉を残して息を引き取ったことにショックを受け、呆然とした。そして、 豊璋の泣きわめく姿を見て、その場にいたたまれなくなって、部屋を出た。部屋を出ると、朝日が出て、夜が明けていた。セーラは自分の部屋に戻ると、じっと一点を見つめて深い思いに陥った。 豊璋の取り乱した様子を思い出した。 豊璋がいかに妻を愛していたか、見て取れた。不思議なことに奥方に対する嫉妬心はわかなかった。ただ 豊璋が哀れで、これからの彼の精神状態だけが気になった。

それから二日、屋敷は火が消えたように、ひっそりとしていた。奥方の葬式が行われるのだろうが、セーラには何も声がかからなかった。セーラはその間、 豊璋の身だけが心配で、ご飯も喉に通らなかった。

セーラが 豊璋に呼ばれたのは、奥方が亡くなって1週間たってからだった。豊璋は、この1週間で随分やつれてしまっていた。

セーラがいつも座る場所に身を落ち着けると、豊璋は、

「先日は、妻を生き返られせてくれてかたじけない。礼を申すぞ」と言った。

「とんでもありません。何もお力になれず、残念です」とセーラが頭を下げると、

「いやいや、お前のおかげで、妻の最後の言葉が聞けた。それだけでも、ありがたいと思っている。倭国に来た年に子を亡くし、それ以来妻は病気がちだった。子を亡くしただけでなく、今度は苦楽を共にしてきた妻を亡くした。さびしいことよ。思えば、妻と結婚したのは私が太子に立てられた12歳のことだった」

「12歳で結婚したんですか?」

セーラはオーストラリアで16歳未満で結婚することを禁じられているのを思い出した。12歳といえばまだ小学校の6年生だ。

「そうだ。妻は有力な豪族の娘で、皇太子妃としてたてられたのだ」

「じゃあ、見合い結婚だったんですね」

 豊璋は、不思議そうな顔をして、セーラを見た。

「結婚と言うものは、そうではないか。親や周りの者がお膳立てしてくれるものだが、お前には、ほかに結婚する方法があると思うのか?」

「私の国では、自分で好きな人をみつけて結婚するのが、普通です」

「それでは、好きな人ができるまで独身でいるのか」

「そうです。ですから、一生結婚しない人もいますよ」

セーラは母親の友人のことが頭に浮かんだ。教員の仕事をしていて、仕事が面白くなって、仕事と結婚したような人が何人かいる。

セーラは、 豊璋が皇太子だったのなら、妾もいたのだろうと、 豊璋の女性関係に好奇心が沸いてきた。

「 豊璋様には、奥方のほかに、第二夫人とか、第三夫人とか、いたんですか?」

「いた」と、 豊璋は当たり前のことのように答えた。

「じゃあ、今も、そういう人がいるんですか?」

そういうと 豊璋は、寂しそうに笑った。

「人質の身で、そんな贅沢はできぬ。皆百済に残してきた」

セーラは悪いことを聞いたと思って、黙ったままでいた。

「明日、妻の葬儀を営む。そなたも出てくれ」と、言った。

その日、豊璋と交わした言葉は、それだけだった。

 

著作権所有者:久保田満里子

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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