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百済の王子(31)

656年

豊璋は毎年来る百済から来る使節団に、「国では何か変わったことはないか?」と聞くと、 使節団の代表が、暗い顔をした。何か悪いことが起こったのではないかと、問いただすと、やっと重い口を開いた。

「佐平の成忠様が亡くなられました」と、悲痛な顔をしている。

「佐平の成忠と言えば、父君の信頼していた側近ではないか?どうして死んだのだ?」

言ってもいいものか、言わないほうがいいのかと迷ったあげく、使いの者は、

「実は王様は、民が飢饉のために苦しんでいるのも省みられず、皇太子、隆様の宮殿を修繕して、民をむやみに労役にかりたてたり、酒色に溺れられているので、佐平の成忠様が、お諌めしたところ、王様のお気に触り、投獄されたあげく、獄死されてしまいました」と、言った。

百済でそんなことが起こっていたのかと 豊璋は衝撃を隠せなかった。 豊璋が国に居たときの義慈王は、血気盛んで、新羅との国境にある城を攻めては、百済の領土をどんどん広げていた。民を治めることに熱心で、酒や女に溺れることなどなかった。ただ、新羅を敵対視して、あるときなどは、新羅の金春秋(のちの武烈王)の娘と娘婿を、降伏したにもかかわらず殺したことで、金春秋の恨みを買っていると聞いたことがあった。母を追放してしまい、兄を皇太子に立てた父に対して、反感のみがあったが、自分が百済を離れた後の父は、少しはめをはずしすぎているのではないかと、ますます父のことが理解できなくなってしまった。

豊璋が父の堕落ぶりを始めて来た時から4年の月日が流れた660年の7月、斉明天皇の元に、百済から使いが来た。その使いの者は、至急、斉明天皇にお目通りを願いたいと、懇願した。斉明天皇が、使いの者に会うと、使いの者は、頭をさげたたま、今にも泣きださんばかりに言った。

「大唐と新羅とが力を合わせてわが国を攻めました。そして義慈王様、恩古皇后様、隆太子様を捕虜として連れ去りました。このため国では兵士を西北の境に配置し城柵をつくろい、山川をたちふさごうとしています」

この緊急事態は、天皇を驚かせた。今まで、新羅と百済はいつも国境の取り合いで紛争が絶えなかったが、唐までも巻き込んでの戦争が朝鮮半島で始まったとなると、倭国も傍観しているわけにはいかない。すぐに皇太子の中大兄皇子を呼び寄せて、どう対処すべきかを相談することにした。このニュースはすぐに 豊璋の元にも届いた。

「なに!父君が新羅の捕虜となられた?」

父が政治に興味を失って酒色におぼれ、旱魃で苦しんでいる百済の民の声を聞こうともしないと臣下の間でも批判が出始めたことは耳にしていたが、そこまで百済が危機に陥ったとは、 豊璋は思ってもいなかった。

「もうこれで、百済もおしまいか」と、 豊璋は、奈落の底に突き落とされた思いがした。ただ一つ頼みの綱は、斉明天皇が援軍をだしてくれるかどうかである。何年か前に、巨勢徳陀子が中大兄皇子に、新羅を討つようにと進言したが、無視されたという話を聞いたことがあったので、今回も倭国は動こうともしないのではないかと思うと、いても立ってもいられなくなって、すぐに宮殿にかけつけた。なんとしても、援軍をだしてもらわなければならない。一途にそう思った。

天皇への取次ぎを願うと、すぐに天皇に会うことができた。

天皇は、

「ちょうど、そなたに使いを出そうと思っていたところだ。中大兄皇子とも相談したところ、わが国としても、黙ってみているわけにはいかない。すぐに戦の支度をするように命じた。駿河の国で即急に船をつくるように命じたところだ。案ずるな」と言われたので、 豊璋は少し気が休まった。

 

著作権所有者 久保田満里子

 

 

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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