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百済の王子(33)

 豊璋の婚礼のことは、すぐに使用人の間で広まってしまった。婚礼のためには準備がいる。いつまでも使用人に黙っているわけにはいかなかったのだ。

セーラの世話をしていたおりんが、つい口をすべらせたことで、セーラは豊璋の婚礼を知ることになった。おりんは、

「セーラ様も大変ですね」と、セーラに同情して言った。

「どうして大変だなんていうの?」

セーラのそんな無邪気な顔を見て、驚いたおりんは、

「王子様がご結婚されることを、まだご存知ないのですか?」と、目をぱちくりさせて言った。

豊璋から、結婚するなどと言う話は聞いていなかったので、セーラは驚きと共に、 豊璋に裏切られたと思った。まず 豊璋におりんの言ったことは間違いではないのかを、確かめたい衝動に襲われた。いつもなら、 豊璋に呼ばれない限り、 豊璋の部屋に近づかないのだが、セーラはいても立ってもいられなくなって、 豊璋の部屋に足を運んだ。

豊璋の部屋の前に行くと、中で話し声が聞こえた。どうやら 豊璋の部屋には客がいるようであった。一瞬ちゅうちょしたものの、このまま引き返す気にもなれなくて、部屋の外の廊下に座って、

「セーラでございます」と、声を張り上げた。

中の話し声がとまり、しばらくして、 豊璋の

「入れ」と言う声が聞こえたが、その声はいつになく固い声だった。セーラの胸に不吉な予感が走った。

セーラが戸を開けると、 豊璋の側に禅広が座っていた。客と思ったのは、禅広だったのだ。

豊璋は、いつもならセーラを見るとにこやかに微笑むのだが、今日は、少しこわばった顔をしていた。

「なんの用だ?」

そう聞かれて、セーラは悲しい思いにとらわれ、思わず言ってしまった。

「用がなければ、お会いしていただけないのでしょうか?」

豊璋は狼狽して、

「いや、そういう訳ではないが、そなたから会いに来るのは珍しいことなので、何事かと思ったのだ」

そばで二人の会話を黙って聞いていた禅広は、

「それでは、兄上、私はこれで失礼します」と、気を利かして、腰をあげた。

「そうか。それでは、頼むぞ」と、禅広を引き止めなかった。

禅広の姿が見えなくなると、セーラはすぐに、

「 豊璋様、ご結婚されるといううわさを聞きましたが、まことでございましょうか?」と、聞いた。

「もう、そなたの耳に入ったのか。そなたの気持ちも分かるが、天皇から勧められた縁談で、断れないのだ」

「どうしてですか?」

セーラに詰め寄られて、 豊璋はますます困った顔をした。

「男たるもの、何人妻を持ってもかまわぬではないか」と、セーラの常識では考えられないことを言い始めた。

「何人も、妻を持つ?なんてことを!」

「大海人皇子を知っておろう?大海人皇子は、額田王と子までなされた仲だが、今では中大兄皇子の娘二人を妻にもらっておる」

「え?ということは、大海人皇子様は、額田王と別れられて、ご自分の姪お二人と結婚されたのですか?」

あの仲のよさそうなカップルが別れたと聞いて、セーラは目を丸くした。それに自分の姪と結婚するなんて、近親結婚ではないか。セーラにとっては驚くことばかりだった。

「そんなに驚くことはない。今では額田王は、中大兄皇子の妃の一人となっておる」

それを聞くと、セーラはますますこの世界の男女の関係が理解できなくなってきた。

「他の方はともかく、 豊璋様には、私一人の豊璋様でいてほしいのです」と言うと、涙が頬を伝わって落ちた。

豊璋は苦虫をつぶしたような顔をして、言った。

「これは、我とても望むことではないが、斉明天皇の好意を無視するわけにはいかぬ。妻を亡くしたと聞いて、お声をかけてくださったのだ」

涙をぬぐいながら、セーラは

「どなたと結婚されるのですか?」

「太安万侶の一族、多臣蒋敷(おおのおみこもしき)殿の妹だということだ」

「もう、お会いになったのですか?」

「まだ会ったことはないが、うわさではおとなしい姫だということだ」

「まだ会ってもいないのに、結婚を承諾されるのですか?」

「結婚と言うのは、家と家との結びつきで、個人の感情など、関係のないことだ」

「そんなものでしょうか」

「そなたの生きていた時代では、違うかも知れぬが、この時代では、結婚と言うものは、そういうものだ。結婚式に初めて顔を見ることになるのだろう」

「いつ、結婚されるのですか?」

「今禅広と話しておったところだが、来月の末にしようと思う」

「それでは、来月の末には、その方が、移ってこられるのですね」

「この屋敷に移り住むという意味か?」

「そうです」

「いや、我が通うことになるのだ。この倭国では貴族は皆、妻とは一緒に住まぬ。妻の家に通い、子供ができれば、子供は妻の実家で育てられるというのが、しきたりになっている」

それを聞くと、セーラは少し気が軽くなった。 豊璋の妻と、屋敷で顔を合わせる気まずさを心配していたのだが、それは杞憂のようだ。 豊璋が自分の見えないところで、他の女に会いに行くのは、仕方がないと、自分を納得させて、 豊璋の部屋を引き揚げた。

セーラはできるだけ、 豊璋の結婚のことを考えないようにしたが、夜寝るときに、見知らぬ女と 豊璋が抱き合っていることを想像して、嫉妬に胸がつぶれる思いで、なかなか寝付けなかった。その夜、 豊璋は、セーラの部屋を訪れなかった。そのことも、 豊璋に拒否されたようで、悲しかった。

 

著作権所有者:久保田満里子

 

 

 

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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