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百済の王子(37)

   豊璋が百済に到着したのは662年5月のことだった。船が百済に近づくにしたがって、 豊璋の気持ちは高揚していった。船着場に近づくと、すでに連絡を受けていたのか、福信と福信の部下達の姿が見えた。岸に降り立つと、福信以下兵士達が皆土下座をして 豊璋を出迎えた。
「王様、よくぞ、戻ってきてくださいました。王様が戻られたとなれば、皆の心は一つとなって敵と戦うことができます」と、福信は感激の涙を流した。
 豊璋は、百済復興軍は、福信以外にも道探(どうちん)などがいたはずなのに、出迎え者の中に道深の姿は見えないのを不思議に思った。
「道ちんは、いないのか?」と 豊璋が聞くと、福信は顔をあげ、
「道ちんは、周留城にいて、警護に務めています」と、答えた。
福信は、安曇比羅夫の姿を、 豊璋の後ろに認めると、立って、安曇に近づき、言った。
「安曇殿、またお会いできて、うれしゅうございます。この度の援軍、まことにかたじけない」
「我が大君より、矢10万隻、糸五百斤、綿千斤、布千端、なめし革千張、籾三千石を送るように言われ、持ってきましたぞ」と安曇が言うと、福信は感激の余り、涙を流して、
「かたじけない」と言って、安曇の手を取って握り締めた。これまで物資の調達に困っていたのだろう、福信の部下達も、ひざまづいたまま、頭をたれて、涙した。
 豊璋は、それから、福信に伴われて、復興軍の拠点となっている周留城に向かった。
周留城に到着すると、道チンが出迎えてくれた。そして、すぐに家臣を集めて、王の即位式が行われた。
福信は、
「これより、国のまつりごとは、王様にゆだねます」と 豊璋に誓った。
ここで、 豊璋の支配する百済の首都をどこにするかについて、議論が起こった。それというのも、州柔は、倭国からの援軍をも食べさせるために、食糧不足に陥ったのだ。 豊璋と福信は、食糧難を解決するために、州柔から避城に都を移す必要があるということで、意見が一致した。作戦会議で、 豊璋達は、「州柔は、田畑から遠く、土地もやせているので、農業には適せず、食べ物が手に入りにくい地だ。だから戦闘が続けば、民達は飢え死にしてしまう。民の飢え死にを避けるためには、農耕のできる避城に首都を移す必要がある。避城は、水も豊富でかんがい施設も整っているので、農耕に適している。だから、食糧の豊富な避城に都を移す必要があると思う」と言った。それに対して、倭人の軍将たち狭井連、朴市田来津が反対の声をあげた。
朴市田来津は、
「避城と敵の間の距離は余りにも近く、一夜で行けます。もし、何かあれば、後で後悔してもしかたありません。そんなにたやすく攻撃されるところに都を移せば、飢える前に、われわれが滅ぼされましょう。今敵が襲ってこないのは、州柔は山が険しく、防備しやすいからです。山が高く、谷が水で溢れていれば、守り易く、敵も攻めにくいのです。もし避城に移れば、守ることが難しくなるでしょう」と、主張したが、長期戦を予測している 豊璋達は耳を貸さなかった。そして百済の軍は、避城に移動した。
移動がすむと、福信は、
「 豊璋様が百済王として即位され、倭国よりお戻りになった。今こそ、百済の国を復興するためにたちが上がるのだと、皆の者に触れて回れ!」と、伝令を各地に送った。
そのあと、西の地から、北の地から、福信と道チンの呼びかけに呼応して、志願兵がどんどん集まってきた。
勢いづいた福信は、
「今こそ、江東の地を取り返すときです」と 豊璋に進言して、集まった兵を連れて、熊津に向かった。熊津には、唐軍が千人駐屯しており、福信達の軍に応戦したが、大敗し、唐軍で生き残った者は一人もいなかった。 豊璋は、全勝の報告を受けて、心が躍った。
「福信、よくやった」
福信と組めば、百済を復興するのも夢ではないと、 豊璋は確信した。
しかしながら、負けた唐軍もそのまま引き下がらなかった。すぐに新羅に援軍を送るように要請したのだ。それを知った 豊璋は、
「新羅が襲ってくる!」と、周留城の守りを固くさせ、固唾を飲んで、新羅の攻撃を待った。しかし、実際に現れた敵を見ると、その数の少なさに、拍子抜けした。新羅は唐軍の要請を受けて援軍を送ろうとしたが、折り悪く、疫病が蔓延してその対応に追われていた。そのため、送った兵の数はたった500人だったのだ。
少人数の敵だと分かると、 豊璋達は、守るよりも攻めるほうを選び、周留城から兵を送り出して、新羅軍を蹴散らした。新羅軍は多くの戦死者を出して、退却した。
「百済の復興軍が、唐軍も新羅軍も蹴散らした」というニュースはたちまち百済全土に広がり、一旦降伏していた南部の城の者達が一斉に唐・新羅連合軍に反旗を翻した。
「王様、南の城もわが軍につきましたぞ」と、福信からの報告を聞くたび、 豊璋は、「でかした!」と叫び、福信に杯を渡し、酒をふるまった。
今のところ、 豊璋が戦場に出て行くことはないが、いずれは戦場にでなければいけないだろうと思うと、城の中で無為に過ごす気にはなれず、福信が兵士を連れて出陣した後は、臣下を相手に弓や剣の練習をした。生きるか死ぬかの状況にさらされている今、セーラのことを思い出すことはほとんどなくなった。ただ時折、月を眺めると、
「私の家族は今の月を見てはいないのです」と言ったセーラの悲しげな言葉が思い出された。セーラの行方がいまだに分からないところを見ると、もう自分のいた未来の世界に帰って行ったのかも知れない。もしそうだとしたら、月にさえも接点がないと言う事になる。月を眺めるとき、セーラとは何もつながりが無くなったのかと思うと、恋しさに、息苦しくなった。

著作権所有者:久保田満里子

 

 

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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