再会(前編)
更新日: 2016-07-10
早苗は、毎朝の日課になっているインターネットのメールを調べた時、懐かしい人の名前を見つけ、逸る気持ちを抑えながらメールを開けた。ロベルト・スパジャーリ。イタリア人の彼と会ったのは、オーストラリアの移民のために開かれている英語教室だった。あの頃のロベルトは、がっちりした体型の、黒い瞳がきらきら輝くハンサムな青年だった。英語教室に一日たりとも欠席せずに通ったのは、彼に会いたいがためだった。そんな40年前の心のときめきが彼の名前を見て、蘇ってきた。
彼がまたどうしてメールをくれたのだろうか。
「早苗さん。
あなたの名前をフェイスブックで見つけました。もしも、あなたが私の知っている北川早苗さんならば、是非お会いしたいです。僕は早苗さんと一緒の英語教室に通っていたロベルト・スパジャーリです。英語教室で5人の仲良しグループができましたが、その中に、北川早苗さん、僕、そしてチリから亡命して来ていたアルベルト、ロシアから移民してきたキールン、そしてベトナム人の難民のボさんがいましたよね。僕はあれから大学に入学し、卒業した後は公務員として働き、先月退職しました。他の仲間にも連絡を取りたいのですが、インターネットを検索しても見つかりません。他の仲間はインターネットと縁のない生活をしているんでしょうか。もしもあなたが僕の知っている早苗さんなら是非お返事ください。そしてまだ他の仲間の住所が分かれば教えてください。今度皆で会いませんか。
ロベルト」
そのメールを読んで、早苗の顔に笑顔が広がった。アルバルト、キールン、ボ。なんて懐かしい名前なんだろうと、40年前早苗がオーストラリアに来て間もないことのことを思い出した。あの頃、早苗も20代で、若かった。
アルバルトはチリの独裁政権から逃れるために、難民としてオーストラリアに来たと言っていた。そのころオーストラリア政府から週30ドルの手当てをもらい、倹約に倹約を重ねて30ドルのうち10ドルは、まだチリに残っている母親に送っていた。その頃のオーストラリアドルは1ドル400円で、1ドル360円だったアメリカドルよりも値打ちがあったし、その頃のオーストラリアは今と比べて何でも安かった。シェアハウスを探せば、家賃が週15ドルくらいですんだのだ。
キールンはのっぽでニキビだらけのまだ20歳にもならない青年だった。まじめ人間で、英語学校が終了したとき、皆でお祝いのためパブに行ったが、その帰り道二人になったとき、キスをされた。キールンに対して、友達以上の感情はもっていなかったので、そのキスには驚かされたが、早苗はキールンは自分を好きだったんだと思うと、まんざら悪い気はしなかった。しかし、その翌日、シュンとなったキールンが私の下宿先に来て、
「酔った勢いで君にキスしてしまって、ごめんなさい」と謝りに来た時には、
「謝らなくてもいいわよ。私、気にしていないから」とは言ったものの、好きでもないのにキスをしたと言われているようで、内心傷ついたのを思い出した。
ボはベトナム戦争の戦火から逃れて、ボートに乗ってきたいわゆるボートピープルだった。戦争という悲惨な状況を体験したせいか、グループの中で一番無口だった。でも、彼の誠実な人柄は、みんなの気持ちを和ませ、私たちの仲間だった。
今頃、みんな何をしているのだろう。残念ながら、早苗はその頃の仲間とは全く音信不通となっていて、誰が何をしているか、皆目見当がつかなかった。
ロベルトのメッセージを読み終えて、早苗は
「勿論あなたのことを覚えているわロベルト。だってあなたは私がオーストラリアに来て初めて好きになった人ですもの」と、心でそう思いながら、すぐに返事を書いた。
「ロベルト、
懐かしいですね。勿論あなたのことを覚えています。他の仲間のことは、残念ながら知りません。私はあれからニックというオーストラリア人と結婚して、二人で小さなレストランを経営しましたが、ニックは3年前に亡くなりました。その後私もレストランを売って自由の身となり、今はボランティア活動をしています。是非会いたいですね」
すると、すぐに返事が来た。
「早苗さん
また会えると思うととても嬉しいです。それでは来週の日曜日、正午にフリンダース駅の時計の下で待っています。一緒にお昼ご飯を食べましょう。僕の顔を忘れているかもしれないので、念のために僕は緑のセーターとジーパンをはき、手に本を持っておます」
それに対して、
「とっても楽しみにしています!」と早苗もすぐに返事を出した。
著作権所有者:久保田満里子