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おもとさん世界を駆け巡る(22)

  おもとさんたちが、サンフランシスコに着いたのは、1867年6月5日のことだった。江戸幕府が大政奉還をしたのが、1867年11月9日のことだから、おもとさんは江戸幕府の崩壊を見ることもなく日本を離れたことになる。おもとさんにとっては初めての海外旅行であったが、船酔いに悩まされたつらい旅だった。ただフレデリックも子供たちも、船酔いにならなかったのが、せめてもの幸いであった。食べると吐き気を催し、頭はくらくらして頭痛に悩まされた。サンフランシスコが見えた時、やっとこのつらい旅も終わると思うと、それまでのうつうつとした気持ちが吹き飛び、明るい気持ちになった。おもとさんの見たサンフランシスコは、まだゴールデン・ゲート・ブリッジはなかったが、3,4階建てのビルが立ち並ぶ、日本の町とは比べ物にならないモダンな町であった。道路も広々としており、その通りを3頭の馬に引かれた乗合馬車が行き交っていた。町の中で飛びぬけて高い建物があったが、フレデリックがその建物は教会だと教えてくれた。。全員場末の薄汚れたホテルに泊まったが、船の旅でぐったりしていたおもとさんを尻目に、フレデリックは、興行の準備に走り回った。サーカスをする劇場を借り、新聞に広告を載せた。その広告には、「正式に出国許可を得た最初の日本人女性の踊り子、おもとさん」と、おもとさんのことが華々しく宣伝されていた。踊り子と言っても、座員はおもとさんがフレデリックの妻であることを知っているので、おもとさんには一目置いていた。
 初めての公演では、おもとさんはかなり緊張した。ほかの座員の軽業や曲芸を舞台の片隅で自分の出番を待ちながら見ていた。ある者は、あごの上に棒をのせ、上手にバランスをとりながらその棒の上に皿を乗せて、器用にくるくると皿を回す。ある者は寝っ転がって、足で樽を回し、その樽の上を他の男がバランスよく立っている。鞠の上でバランスをとりながら傘を持ち、傘の上の鞠をくるくると転がすなど、ハラハラ手に汗を握る曲芸が披露された。全員、袴やはっぴ姿である。おもとさん以外の座員は、皆日本ではプロとして舞台にあがっていた者ばかりで、素人で初出演なのはおもとさんくらいであった。だから、いざ、司会者が「おもとさんの日本舞踊!」と紹介すると、胸がドキドキしてきた。胸の動悸を抑えようとするとすればするほど、おもとさんの努力をあざ笑うかの如く、血は頭に上がり、顔がほてった。それでも、勇気を振り絞ってあぜやかな着物姿でおもとさんが舞台に現れると、観客席から拍手が沸き上がってきた。客席は観客で埋まっていて、観客の目がおもとさんに注がれる。おもとさんは笠をかぶり、藤の枝を手にして、三味線とお囃子の音に合わせて、藤娘を無我夢中で踊った。やっと出番が終わって、楽屋に戻ると、汗をびっしょりかいていた。着物を普段着に着替えていると、フレデリックがそばに寄ってきて、「なかなか良かったよ。客は大喜びしている」と笑顔で言ってくれた。それを聞くと、緊張が一気にほぐれて、急に疲れを感じた。ホテルに戻ると、子供たちが待ちかねて、おもとさんに抱きついて来た。長男のリトル・タンナケルは特に甘えん方で、おもとさんには、可愛くて仕方がなかった。だから子供たちが寝付くまで子守唄を傍で歌ってやった。


参考文献:ロンドン日本村を作った男 小山騰

著作権所有者:久保田満里子

 

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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