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おもとさん世界を駆け巡る(33)

翌年の千八百九十四年の5月ゴダイユと娘たち三人とトモキチはシドニーに行き、シドニーのチボリー劇場で公演をした。公演が終わった後、末っ子のカメは、「もう、サーカスに出るのはいや。私、洋裁学校に通って、洋裁師になりたい」と言い出した。カメもすでに12歳になっていた。確かにカメは引っ込み思案で舞台に立つのを極端に嫌い、公演前にはおもとさんもなだめたりすかしたりするので大変だった。だから、カメは洋裁学校にやって、自立させるのがいいのではないかとゴダイユに言うと、ゴダイユも「そうだな。あいつは臆病者で、サーカスにはむいてはいないな。余り人間を相手にしなくて済む洋裁師っていうのは、存外性に合っているかもしれないなあ」と賛成した。結局、カメはシドニーの寄宿舎のある学校に入学させた。
長女のミニーはカメと違って社交家で、おもとさんに似た美人で、皆の人気者だった。だから結婚相手には困らないだろうとおもとさんは常々考えていたが、ある日21歳になったミニーが「紹介したい人がいるの」と、連れてきた男性は、背広を着た日本人のハンサムな男だった。身なりもきっちりしていることから、きっといいところのお坊ちゃんではないかとおもとさんは想像したが、ミニーから「こちら古澤基さん。日本総領事館に勤めていらっしゃるの」というので、びっくりした。総領事館勤務と言うことは、やはり自分たちのような平民ではないのではないかと、思った。古澤ははにかんだように、「古澤基(はじめ)です」とあいさつをした。初めてミニーの両親と会うというので、かなり緊張しているらしい。ゴダイユは、気難しい顔をして、「ミニーの父親のゴダイユです。これはミニーの母親のおもとです」とまず自己紹介をしてゴダイユの後ろに立っていたおもとさんを紹介した。そして、椅子をすすめて、テーブルをはさんで古澤の真向かいに座った。ゴダイユは「古澤さんは総領事館にお務めだということは、士族でいらっしゃいますか?」と、おもとさんの気にしていることをずばりと聞いた。相手が士族なら身分違いで、古澤の両親が平民のミニーとの結婚を許すはずはないと思ったのだ。
古澤はざっくばらんな性格のようで、「ええ、士族には違いありませんが、今はほとんどの士族がそうですが、仕える主人を失って、生活に困窮しておる状態で、もしも、身分違いだと断られるつもりでしたら、そんなご心配はご無用です」と、明快に答えた。
「どこの藩に仕えてらっしゃったのですか?」
「愛媛県宇和島藩です」
「失礼ですが、おいくつですか?」
「27歳です」
ゴダイユはまるで面接試験のように、古澤を質問攻めした。
「ミニーは日本語が話せないのですが、日本に連れて帰るつもりなら、無理じゃないでしょうか」
「いいえ。日本に帰るつもりはありません」
ミニーのためにオーストラリアに永住するというのである。
「あなたがオーストラリアに永住するとなると、ご両親が嘆かれるのではないですか?」
「仕方ありません。僕は長男ですが、優秀な弟もいますから、弟が家を継いでくれると思います」
古澤の決心は堅いようで、ミニーと古澤がチラリちらりとお互いの顔を見て微笑み合うのを見て、ゴダイユもおもとさんも、結婚に反対する気持ちはなくなった。次女のタケはデンマーク人と結婚しているので、相手が日本人で良かったという気持ちもあった。
ミニーと古澤の結婚式は明治28年4月19日に領事、暦山馬克四の立会いの下、行わた。古澤はその後シドニーに転勤となり、15年余り領事館に勤めた。だから、ミニーもカメも、親元を離れて長くシドニーに住むことになった。

著作権所有者:久保田満里子

 

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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