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おもとさん世界を駆け巡る(34)

 看板娘だったミニがゴダイユ一座から抜け出したため、ゴダイユ一座だけで興行を続けることが難しくなった。それからはオーストラリアで1,2番を争うフィッツジェラルズ・サーカスに加わり、公演を続けた。
それから2年の月日がたち、1897年になった。ある日ゴダイユはおもとさんに大事な話があると言って、お茶を持ってきたおもとさんを引き留めた。
おもとさんが何事かと思って、ゴダイユの前で姿勢を正して座ると
「ずっと考えてきたことだが、」と言って、おもとさんに相談を持ち掛けた。
「ミニも結婚し、タケも結婚。末っ子のカメは引っ込み思案で、まるっきりサーカスにはむかない。俺の後を継ぐ者がいないとは、困ったもんだ。そこで、トミキチかリトル・マツを養子にして、俺の後を継がせたいんだが、どう思う?」
「そうですね。どちらに継がせるか、あなたに一応何か考えがあるの」
「うん。跡を継ぐとなれば、一座を引っ張って行く器量がいるが、トモキチは芸はうまいが、無口で交渉事も苦手なようだ。それに比べて、マツは根が明るくて客受けもよく、交渉事もなかなかうまいもんだ。だから、マツの方が良いとは思うのだが。何しろ、、芸がうまいというだけでは一座を率いることはできんからな」
おもとさんもゴダイユの言うことはもっともだと思ったが、一つ気がかりなことがあった。それは、年上のトモキチの地位が一座の中で下がり、トモキチは面白くないだろうということである。
「マツなら小さい時から知っているけれど、根が正直で、言われたことは素直にするよい子なので、私もマツを養子にすることには異存はありません。マツが後を継いでくれるとなれば、娘たちも自由に自分の道を歩むことができますし。ただそれではトモキチが面白くない思いをするのではないですか」
「それはそうなのだが、トモキチがそれで面白くないからやめるというのなら、仕方がないことだと思う。今のままで俺に何かあったら、一座が立ち行かなくなって、お前たちの行く末も案じられるからな。こういうことは早く決めた方がいい。ともかく、マツに話をしてみよう」ということで、マツに話を持ち掛けると、マツは目を輝かせて、「親方、俺なんかでいいんでしょうか?」と最初は躊躇したものの、「お前以外には考えられねえ」と言うと、喜んでゴダイユの申し出を受け入れた。
その後、ゴダイユは一座の者と家族を集めて、マツが養子になったことを皆に告げた。
「今度、マツを養子にすることにした」
その一言で、トモキチの顔色が変わったが、反対の声をあげなかった。不満に思っても、気の弱いトモキチは反対しなかった。いや、反対しても親方の決めたことにさからっても無駄だと思ったのだろう。
マツは、ガダイユの養子になってから、リトル・キングと名前を変え、出演者のチラシにはトモキチの前に名前を書かれるようになった。トモキチは、マツが養子になって1か月もしないある日、
旅支度をしたトモキチが
「日本に帰ることにしたので、やめさせてもらいます」と言った時、おもとさんは仕方がないと思った。ゴダイユも、悲しい顔をして、「そうか。やめるのか」と言ったなり、引き留めようとはしなかった。そして、一旦座敷に引っ込んだかと思うと白い封筒を渡した。「餞別をたくさんやりたいのはやまやまだが、今のうちの経済状態では、これが精いっぱいだ。受け取ってくれ。今までご苦労だったな」と言って、餞別を渡すと、黙ってお辞儀をするトモキチを見てゴダイユは奥に引っ込んでしまった。おもとさんはゴダイユが部屋で泣いているのだろうと、容易に想像できた。何年も一緒に同じ釜の飯を食った仲間である。寂しく無かろうはずがない。結局、トモキチを家の外で見送ったのは、おもとさんとマツ、そしてまだ家にいたカメだけであった。マツは余り物を言わなかった。「体には気を付けるんだよ。日本で住むところが決まったら、きっと知らせておくれよ」とおもとさんが言うのを、トモキチは頭を下げたかと思うと、答える前にくるりと背なかを見せ、立ち去って行った。オモトサンたちはトモキチの姿が見えなくなるまで見送ったが、トモキチは一度も振り返らなかった。いつもは陽気なマツは自分のせいでトモキチが辞めたことを痛感していたので、どう言っていいか分からなかったのだろう。暗い顔をして、一言も言葉を発しなかった。
トモキチが使っていた部屋を掃除しようとしたおもとさんは、トモキチのさかだちに観客が湧いていたことを思い出し、寂しさでしばらくぼんやり座ったままだった


著作権所有者:くぼた

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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