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人探し(21)

「慰謝料を払う条件って、何ですか?」と、五十嵐が聞いた。
「マスコミにこの事故を発表しないことです。マスコミに騒がれると、当病院への信頼が失墜します。それだけは、院長として避けたいのです」
「それなら、こちらももう一つ条件を出していいですか?」五十嵐は抜け目なく言った。
「それは、条件次第ですが、何でしょう?」
「私としては、このスキャンダルは一回きりのものだったのか、それとも何度もあったことなのかを、そちらで調べていただきたいのですが」
「それは、ちょっと難しいです。40年前に産科の看護師をしていた者は、もう当病院ではいませんし、こんなことは記録には残っていませんから」
病院側としても、これ以上被害者がいて、慰謝料を払わせられるのはたまらないと思ったのだろう。五十嵐の新しくつけた条件を拒絶した。五十嵐も余り駄々をこねないで、あっさりと病院の拒絶を受け入れた。他にも被害者がいるかもしれないが、今はそれにこだわって、解決するのが遅れるのは、困る。正雄はオーストラリアに帰る前に決着をつけたがっている。
「分かりました。ともかく、この事件を早期解決したいと思っています。私の方が最初にあげた3つの条件は、マスコミに公表しないという条件で、承諾してもらえるのですね」
「ええ」
「じゃあ、早速ですが、1970年3月27日に生まれた赤ん坊の記録だけ見せてもらえますか?」
「ええ、そうおっしゃるだろうと思って、その日に生まれた赤ん坊三人の書類のコピーを用意しておきました」
と言って、院長はファイルにいれた書類を五十嵐に渡した。五十嵐がファイルの中を見ると正雄の名前が書いてある書類が一番上になっていた。そして次が藤沢のファイルだった。3枚目を見ると、正雄たちが探していた赤ん坊の名前が書いてあった。
「北川哲夫。何だか学者かなんかの名前みたいだな」と言って、五十嵐はその書類を正雄に渡した。
「父親の名前が、北川敏夫、美知子。住所は、東京都世田谷区八幡町3-20。電話番号は0320181234となっている」
正雄は書類に書いてある事項を声に出してみた。
「この書類のコピーは頂けるのでしょうか」と五十嵐が聞くと、
「ええ。結構ですよ」と院長は答えた。院長がすでに代が変わっているせいかもしれないが、藤沢君枝が抗議した時けんもほろろに扱われたと言うのが信じられないような丁重な対応だった。
「それでは、北川哲夫さんが見つかったところで、また連絡します。その時は、謝罪と慰謝料をお忘れにならないようにお願いします」と言って病院の建物を出た五十嵐と正雄の足取りは軽かった。
「こんなにあっさりと情報を提供してもらえるなんて、びっくりだな」と正雄が言うと、
「それは、弁護士の威光が聞いたのさ。今はネットで情報を簡単に流せるからな。こんな赤ん坊取り違え事件なんてセンセーショナルなこと、すぐに話題になって、XXX病院の信頼は完全に失墜してしまうな。一度失墜した信頼はなかなか取り戻せない。それを院長は恐れているから、こちらに協力的だったんだよ」
「でも、一家族2千万円の慰謝料をあっさり出すと言ったのも、驚きだったよ」
「それも僕のおかげだと感謝してもらいたいね。それに、僕の弁護士料、それから払うことを忘れないでくれよ」
「勿論だよ。うちの両親の実子が今北川哲夫として生活していることが分かっただけでも、大きな進展だよ。この調子では、僕がオーストラリアに帰るまでに、北川哲夫が見つかればいいんだが。まず手始めとして、この電話番号に電話することから始めなければいけないな」
「そうだな。40年もたっているから、同じ電話番号を使っている可能性が低いが、ともかく僕の事務所から電話してみよう。今から一緒に事務所に来ないか?」
「勿論行くよ」
電車とバスを乗り継いで行った五十嵐の弁護士事務所は、バス停の近くの雑居ビルの中にあった。
五十嵐の事務所は狭かったが一応応接間もあり、事務の女性が一人いて、その女性がお茶を出してくれた。
「そう言えば、まだ昼飯、食べていなかったな」と五十嵐が言い出し、時計を見ると すでに1時半になっていた。
「昼飯よりも、まず電話してみろよ」
正雄としては、一刻も早く自分の両親の実子の情報を得たい思いでいっぱいである。
「そうだな。まあ、長話になるとは思わないから、会う約束だけでも取り付けよう」
五十嵐が、自分の携帯を出し、院長からもらった北川の書類に書かれている電話番号を入れて、相手を呼び出した。
「リーン、リーン」と呼び鈴が二回なって、相手の声が聞こえてきた。五十嵐が何か言おうとした途端、
「この電話番号は現在使われておりません。もう一度電話番号をお確かめの上、おかけください」とあらかじめ録音されていた電話局の女性の声が聞こえた。
「やっぱり、40年もたつと、この電話は使われていないようだ。こうなれば、北川の住所から探っていくほかないな。まあ、ともかく飯にしよう。腹が減っては戦はできないからな」
と言って、五十嵐が近くの蕎麦屋に案内してくれた。

著作権所有者:久保田満里子

 

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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