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ある雨の夜に(2)

幸太郎が家に帰るといつものように外灯はついていたが、妻の敏江と高校3年生の娘の聖子は眠っていた。幸太郎は妻を起こして今日の出来事を話したい衝動に襲われたが、仕事を持っていた、明日も朝早く家を出る妻を真夜中に起こすのは、ためらわれた。しかしそのままでは眠られそうもなかったので、友人からもらったウイスキーを水割りして飲み、酒の力を借りて、やっと眠りについた。
 翌朝、カーテンから漏れる明るい太陽に照らされて目覚めると、9時になっていて、会社勤めの敏江は仕事に、聖子は学校にと出かけた後だった。どれ、朝ご飯を食べようかと起き上がったら、とたんに昨夜の女のことを思い出した。思い出すと悪寒に襲われたように背中がぞくっとした。一晩寝て見ると、夢を見ていたのかもしれないと言う気もする。そこで、自分の車の後ろの座席を調べに行くと、夜女の座っていたところは、濡れていた。やはり、夢ではなかったのだ。今日も夕方から車に乗る予定だが、それまで少し時間がある。あの女が何者か突き止めたくなって、コーヒーとトースト2枚で簡単に朝ご飯をすますと、昨日女をおろした家に行ってみた。夜は暗くてよく見なかったが、女の行き先の家は2階建ての大きな家で、鉄扉が閉まっている。呼び鈴を押したが誰も出てこない。もっとも午前中家にいる人は余りいないだろう。しばらく門の前にたたずんでいたが、誰も出て来る様子がないので、引き上げようときびすを返すと、50歳くらいのアジア人の女性が玄関から出てきて、幸太郎に声をかけた。そして、「何か家に用事があるんですか?」と英語で聞いたその目は警戒心に満ちていた。彼女の英語が日本語訛りだったので、幸太郎は親近感を覚えて、日本語で「このうちの方ですか?」と聞くと、「あら、日本人なんですか?」と反対に日本語で聞き返された。
「ええ、僕、柳田幸太郎という者でウーバーの運転手をしています」と言うと、「ウーバーの方?」と不審そうに聞く。
「実は、昨夜、いや、もう午前様だったので今日ですね、若い女性をスプリングベールの墓地からこちらまで車で送って来たのですが、様子がおかしかったので、気になって来てみました」と説明した。
「若い女?」そう言うと、女の顔色がさっと変わった。
「お嬢さんですか?」と幸太郎が聞くと、
「そうかもしれません。ともかく、家に入って、話を聞かせてください」と、女はそそくさと幸太郎を家の応接間に通した。女の心の中で、警戒心よりも好奇心の方が打ち勝ったようだった。
 案内された応接間は、シャンデリアがあり、どっしりした茶色の革製ソファーがあり、まるで、古いイギリスのお金持ちの家を想像させるようなインテリアになっていたが、窓が大きくて、明るい光が差し込んで、モダンさと古さをミックスさせたような雰囲気だった。女にすすめられるまま幸太郎がソファーに座るとすぐに、その女は写真を持ってきて、「その若い女って、この子でしたか?」と聞く。写真に写っている高校生の制服を着て笑っている子は、確かに幸太郎が乗せた女に間違いなかった。
「ええ。お宅のお嬢さんでしたか。墓地から乗せてここまでくるとすっと消えていなくなったので、てっきり幽霊かと思いましたよ」と幸太郎はばつが悪そうに笑ったが、女は笑わなかった。
「この子、5月に自殺をしたんです」女は顔をこわばらせて言った。
「亡くなった?じゃあ、やはり、あれは幽霊だったんですね」
女は頷いて、「そうかもしれません。あの子、きっと家に帰りたかったんですね」と言うと、女の頬に涙が零れ落ちた。
「一体、どうして自殺されたんですか?差し支えなければ、事情をお聞かせ願えませんか?」
 幸太郎は、気味悪さよりも、その娘の話を聞きたいと言う思いが強くなった。それは幸太郎にも、同じ年ごろの娘がいるせいかもしれない。
「あ、そう言えば、まだ名前を言っていませんでしたね。私、玲子・ジョーンズと言います。娘は、ミアと言いました」
頬に零れ落ちた涙をハンカチで拭きとりながら、姿勢を正して言った。
「そうですか。ミアさんは、どうして亡くなられたんですか」と、幸太郎も姿勢を正して聞いた。
「あの子は、いじめにあって、自殺したんです」
「いじめって、暴力を振るわれたり、お金を取られたりしたんですか?日本では、そういったいじめの話をよく聞きますが、オーストラリアでもいじめがあるんですか」
「ええ、そうですよ。もっとも、こちらのいじめはSNSやツイッターで悪口を書き送ったりして嫌がらせをすることが多いようですが、うちの子はSNSなどで、死ねとか、お前の顔を見るだけで気分が悪くなるなど、クラスメイトからひどいことを言われ、言葉の暴力に耐えられなくなったんだと遺書に書いていました。こちらの新聞は自殺の記事は記載しないように規制しているみたいですから、柳田さんはお気づきではなかったのかもしれませんね。生徒の中には教師にも暴行を加える子もいると言うことですからね」
「お嬢さんがそういう状態の時、教師は何をしていたんですか?そんなことを許す学校も悪いですよ。どちらの学校に行かれていたんですか?」幸太郎も玲子同様憤慨して聞いた。
 幸太郎は、その娘の行っている高校の名前を聞いて驚いた。それは、幸太郎の娘、聖子の通っている高校だった。公立だけれど、有名大学に行く生徒が多いことでも知られている学校だった。聖子の通っている高校で、生徒を自殺に追い込むほどのいじめが行われたとは全く寝耳に水だった。それを聞いたあと、幸太郎は聖子はいじめを受けていないのだろうかと、心配になって来た。

著作権所有者:久保田満里子

 

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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