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塞翁が馬(3)

里奈が離婚してからは、彼女のうわさは、大学に勤めている友人から聞くのみになった。
「彼女、ついに博士号を取得したわよ」と聞いた時は、悔しかった。
「それじゃあ、フルタイムの仕事も、すぐにもらえるでしょうね」
「さあ、今大学の財政が厳しいから、どうかなあ」
「どういうこと?」
「パートで同じ仕事をしていても、博士号を持っている人は、修士の人より30パーセントは多く時給が支払われること、知ってるでしょ。だから、彼女が博士号を取った途端、パートの仕事を辞めさせられてしまったのよ。彼女の教えているクラスは、修士の人でも教えられるからって。高学歴が裏目に出たのよ」
「へえ、そんなこともあるんだ」と私は初めて聞く話に目を白黒させた。
「彼女はフルタイムの仕事をしたがっているけれど、フルタイムのあきって、そう簡単にはできないもの」
 大学で日本語を教えたいからって博士号を取得した里奈。いい気味だと思う一方、気の毒だという気持ちもわかないでもなかった。
 次に彼女のうわさを聞いたのは、職業あっせん所で、彼女を見かけたと言う知り合いからだった。
「彼女、一生懸命仕事を探しているみたいだけれど、なかなか見つからないみたいね。斡旋所の人が、履歴書に、博士号取得と言うのを書かないほうが良いとアドバイスしているのを聞いたわ。博士号取得ということで、企業からは敬遠されるからって。でも、彼女ガンとして首を縦に振らなかったわ」
「じゃあ、まだ仕事が見つからないってわけ?」
「そうみたい。失業手当をもらうためには一か月に二十社も仕事の応募をしなければいけないという厳しい条件があるでしょ。だからオーストラリアでは失業手当をもらうのも楽じゃないのよ」
 次に彼女の話を聞いたのは、ウエストゲートブリッジの下の草地で草むしりの仕事をしているらしいと言うことだった。これには私は衝撃を受けた。草むしりのような肉体労働をするのだったら、博士号なんて取得しなくても良かったんじゃないかと思った。里奈が生活に困窮していることが分かって彼女が可哀そうになりお昼にでも招待しようかと言う思いが頭を一瞬横切ったが、彼女の勝気そうな眼を思い出すと、「いやいや、やめておこう。彼女に会っても話すことなんてないし」と、会うことを思いとどまった。
 気の毒にと思いながら、自分から彼女に連絡する気になれなくて、彼女がどこにいるかも知らずに、月日は流れ去った。
その間、私の方は、VCE(ビクトリア州の大学入試試験に相当するもの)のために日本語を勉強している生徒から、家庭教師の依頼が次々に来て、忙しい生活を送っていた。

著作権所有者:久保田満里子

 

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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