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墓場の散策(1)

僕が墓場を散策をするのが趣味だと言うと、たいていの人が驚いた顔をし、そのあとどのように話を続けていけばよいか困ったような顔をする。確かに、「それは良い趣味ですね」とか「楽しそうですね」なんて言えないだろう。中には薄気味悪そうに僕を見る人もいる。
 僕が墓場を散策し始めたのは、確か10歳になってからだ。僕の子供時代の人生は、実際惨めだった。普段は気の弱い父親は酒を飲むと暴力をふるい、それに耐えきれなくなって僕が8歳の時に母は家出をして、連絡を絶ってしまった。家で面倒を見てくれる人のいなくなった僕は、風呂にもめったに入れてもらえず、汚れた服を着て学校に行くことが多くなり、当然のことながらいじめのターゲットになった。
「浮浪児」。それが僕につけられたあだ名だった。「浮浪児」「浮浪児」とからかわれても僕は何も抵抗せず、下を向いて、いじめっ子をできるだけ無視をして、頭の上を言葉の嵐が通り過ぎるのを待った。高学年になるにつれて、クラスメートのいじめはエスカレートしていき、殴られたり蹴られたり、暴力を振るわれることも多くなった。いじめられても、誰にも相談する人がいなかった。担任の教師は、薄汚くて臭いもする僕をうっとうしがっているのは分かっていたから、本気で僕の相談に乗ってくれるとは思わなかった。父親になんて、尚更相談できなかった。だって、下手に声を掛けたら、げんこつが飛んでくるのだから、僕は父親の前では、いつもおどおどして何も言えなかった。だから僕はいつも一人ぼっちだった。
 ある日、いつものようにいじめっ子にこずかれた後、気持ちを落ち着けるために、泣きながらやみくもに歩いた。その時、遠くまで来てしまったとハッと気が付くと、墓場の中を歩いていた。墓場と言っても遠くから見ると、丘の芝生の斜面にたくさんの墓標が立っているだけの広い敷地で、特に塀も柵もなかった。だから、見つけたと言うより、迷い込んだと言う方が正しい。墓地だと気づいて、目についた墓標の前に立ってみた。墓標には「フィオーナ・ハリソンここに眠る」と書かれていて、その下の行には「The 12th of November,1972~the 1 April,2011」と書かれていた。1972年11月12日に生まれて2011年4月1日に亡くなったのなら、39歳で亡くなったことになる。平均寿命が80歳を超える今、享年39歳と言うのは若死にの部類に入るだろう。この人はどんな人だったのだろうかと思うと、突然頭の中に女の人の声が聞こえたような気がした。透き通ったソプラノの声。誰かいるのかと慌てて周りを見回したが誰もいなかった。墓場はひっそりとしていた。もう一度お墓を見ると、今度ははっきり声が聞こえた。
「ぼく、驚かかせてごめんね。僕はどうやら私の言うことが分かるようね」
私が黙って頷くと、その声は続いて言った。
「僕の名前は、なんて言うの?」
「浩二 スワン」
「浩二って、英語の名前じゃないわね」
「ええ、僕の母が日本人だったから、日本語の名前がつけられたんです」
「そう。何だか泣きながら歩いていたようだけれど、いじめられて泣いているの」
黙ってうなずくと、
「日本人のハーフだからかしら?」と聞く。
僕は、ちょっと返事に困った。
「それもあると思うけれど、僕の身なりが汚いからだと思う」と小さな声で答えると、
「お母さん、面倒見てくれないの?」
そう言われると、自分が惨めに思えて、また涙が出てきた。
突然泣き出した僕にびっくりしたようで、フィオーナが慌てて言った。
「あ、ごめんね。お母さん、いないの?」
今度は返事をする代わりに、大きくうなずいた。
「そうだったの。でも、今はつらくても、そのうちきっといいことがあるわよ」と声が聞こえた。
「フィオーナさんは、どうして亡くなったんですか?」
「私?殺されたの」
「え?殺された?どうして?犯人はもうつかまったんですか?」
(続く)

著作権所有者:久保田満里子

 

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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