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一(はじめ)と一子(いちこ)(1)

この物語は、実話に基づいたフィクションです。この話のベースになっているのは、中野不二夫氏の「カウラの突撃ラッパ」です。豊島一に興味のある方は、中野氏の著書を読むことをお勧めします。

物語の場所は四国の香川県三豊郡高瀬町と言う農村。香川県の県庁所在地である高松から予讃本線に乗って、西に1時間ほど行った所にある小さな町である。時は1940年のことだった。
その年、1917年生まれの宮谷一子は23歳になっていた。戦前には女性で23歳で独身と言うのは珍しく、中には一子に何か問題があるのではないかと疑う人もあったが、一子の実家は高瀬町の旧家で、家柄から言えば、誰からも文句を言われない立場だった。ただ母親が早くに亡くなったので、妹や弟の面倒を見ているうちに23歳になったという訳である。一子は明るく、働き者だったので、高瀬町一番の料亭千九亭の女将、キクエから目をかけられていた。
  ある日、一子はキクエから、「うちの弟と結婚する気はないかね」と聞かれた。「うちの弟は私と年が18も離れていて、今年20歳になるんよ。あんたより2歳年下だけど、しっかりした子じゃから、あんたとお似合いじゃと思うんよ。来週家に遊びに来ると言っとから、会うてみる気はないね」
 一子は尊敬していたキクエからそんな話を持ち掛けられて、嬉しくなって、すぐに「ええ、会ってみたいです。お願いします」と頭を下げた。家に帰って父親に一との縁談の話を伝えると、「豊島家は室町時代からある旧家だし、キクエさんの弟さんなら間違いはない」と喜んでくれた。
 その翌週、胸をどきどきさせながら、一人で千九亭を訪れた一子を迎えたのは、すっきりとした目に精悍な輝きをたたえ、鼻筋も通ったハンサムな青年だった。「豊島一です」と健康的な白い歯を見せながら自己紹介をする青年を見て、一子は「素敵な人だわ。こんな人なら一緒になりたい」と強く思った。一目ぼれである。キクエの話では、その頃一は海軍の兵士だった。兄の徳繁の家に住み、たまの休暇には、実家に帰る前には千九亭に寄って、仕出しなどの手伝いをしていて、キクエに重宝されていた。キクエにとって自慢の弟だった。
 二人が自己紹介した後はキクエが気を利かせて、「あんたら、二人で散歩でもして来たら、どうなんね」と言わうので、二人は千九亭を出て、高瀬町の町を歩きながら話した。初対面の人に対して恥ずかしがり屋で余り話さない一子が珍しく一には緊張をせずに話ができたのは、不思議だった。
「一さんはどんな仕事をしていなさるんかね」
「 海軍航空隊の操縦練習生なんじゃ。ぼくの夢は早く一人前の飛行機乗りになることなんじゃ」
「海軍に入るのは難しいと聞いておりますが、一さんは頭がいいんですね」
そう言うと、一は少し顔を赤らめ、
「いやあ、そんなことはないよ。佐世保海兵団入団の試験に一度落ちて、2度目の挑戦で受かったんじゃ」
一子は、自分の失敗談をあけすなに話す一にますます好感を持った。
「試験は難しかったんでしょうねえ」
「うん。難しかった。一番難しかったのは回転いすに乗せられて、ぐるぐる回されて、ぱっと止まったところで、3メートル離れた壁の小さい黒い点を指でさすことじゃった。何しろ頭はくらくらするし、指さなければいけない点が小さすぎて見えなくて、最初の試験では、散々な目にあったよ。だから2回目の挑戦の前には、しっかりその練習をしたよ」
「それは、大変じゃったね」
「僕は、海軍の仕事で家を空けることも多いじゃろうけれど、一子さんは、そんなこと気にならんかね」
一子は一の結婚をすることを予想しての質問に嬉しくなって、
「気にしません。一さんはお国のために頑張ってくださっているんじゃから。それにこの町には家の家族もいるし、キクエさんもおられるけ」
「もしかしたら、キクエ姉さんにこき使われるかもしれんぞ」と笑いながら一が言うと、
「私はキクエ姉さんを尊敬しとりますから、キクエ姉さんのお役に立つことだったら、何でもしたいと思っとるんです」
「それを聞いたら、キクエ姉さん、喜ぶぞ」

二人が散歩から帰って来た時、キクエは二人の互いを見つめ合う目が熱いのを見て、この縁談はうまくいきそうだと、ほくそえんだ。


著作権所有者:久保田満里子
 

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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