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キラーウイルス(2)

 総理の呼びかけに、最初に口を切ったのは、法務大臣の渡辺だった。
「高齢者を後回しにすると言うことにしても、年齢制限を考えなければいけませんな。今のところ感染者の死亡の年齢はどうなっているのか、山中さん、分かりますか?」
山中は手元の資料に目を落とし、死亡者の詳細が書かれている書類を見つけ、読み上げた。
「死亡者の最高年齢は94歳で、80歳以上が25人、75歳以上80歳未満が18人、70歳以上75歳未満が5人、60歳から70歳が3人、50代は今のところいなくて、60歳未満の死亡者は2人となっています」
皆じっと山中の報告に耳を傾けていたが、総理がすぐに、
「それじゃあ、75歳以上の死亡者が圧倒的に多いと言うことですね」と、山中に確認した。
「そういうことになります」
「それじゃあ、75歳以上の高齢者の治療を断ると言うことにしたらどうですか?」と伊藤が言う。
「断ると言うのは、物議をかもしかねませんよ」と、総理は言う。
「断ると言う言葉は、やめたほうがいいでしょうね。75歳以下の感染者の治療を優先すると言うのはどうでしょう。同じ意味でも、ソフトに聞こえますよ」
皆出席者は総理の言葉に、頷く。
「ただし、これは医療機関が感染者の受け入れが難しくなったときの、緊急処置にすべきであって、それまでは公表しないでおきましょう。皆さんいいですね。これは極秘情報ですから、この会議室から外部に漏れないように細心の注意を払ってください」と、総理は出席者の面々の顔を見ながら言った。悲痛な面持ちの出席者は全員黙ってうなずいた。
 会議から解放された面々はそれぞれ自分の部署に散っていった。
 その中でとりわけ山中の対策本部に戻る足取りは、重かった。
「75歳制限か」とひとり呟くと、ため息をついた。実は山中の母親は76歳。父親は5年前に他界をしていたが、一人暮らしだった母親は去年家の階段を転げ落ち、足を骨折して以来、老人ホームにいる。もしも母親がキラーウイルスに襲われれば、治療対象外にされる恐れがある。どうして反対しなかったのか悔やまれた。山中と母親の関係はいたって良好で、社交的でなんにでも積極的で色んなボランティア活動に参加していた母親を、山中は尊敬していた。老人ホームに入ってからは、さすがにボランティア活動はできなくなってしまったが、老人ホームのスタッフに色々な企画の提案をして、スタッフからも一目置かれていた。山中は忙しい中を縫って2週間に一回は母親のいる老人ホームを訪問していたが、行くたびに介護士から、「山中さんのお母さんってすごいですね」と言われた。先日も「この間、読書会でもしたらどうかと提案されましたが、本当に頭脳明晰な方です。でも残念ながら入居者の半分は認知症にかかっていますから、何人読書会に興味をもつか分かりませんが」と、言われた。その度に山中は母親のことを誇りに思った。
 山中は対策本部に帰る道々「まあ、お母さんがキラーウイルスに感染しないことを祈る以外ないな」と、心配事を頭からふるい払った。それでなくても、感染症対策本部長として山中には決断を迫られることがやまほどあった。

注:これはフィクションです。
著作権所有者:久保田満里子


 

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2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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