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キラーウイルス(最終回)

 都市封鎖が始まって2週間後、都市封鎖の効果が現れ始め、それまで感染者数は増加するばかりだったが、わずかながら減少してきた。山中は、暗いトンネルの先に少し明るい光が見え始めたような気がした。そんな矢先、出産のため入院していた妊婦が、キラーウイルスに感染をして死亡してしまうと言う不幸な事件が起こった。感染経路は定かではなかったが、その妊婦の世話をしていた看護師が感染させたと言う噂が密かに流れて行った。そして、妊婦が亡くなって1週間後、病院勤務から帰宅途中のその看護師は、待ち伏せしていた亡くなった妊婦の夫に刺殺されてしまった。その看護師は、妊婦が感染した時点でPCR検査を受けて陰性だったのだが、精神的に錯乱していた妊婦の夫は、病院側の陰謀だと思い込み、看護師を殺したのだ。
 山中は、新聞記事でこの事件を知り、衝撃を受けた。皆狂い始めている。キラーウイルスは肉体的に人間を破滅に追いやるだけではなく、精神的にも追い詰められていっている。そう思うと、暗澹たる気持ちになった。 
 政府から都市封鎖を解除する時期を判断してアドバイスしてほしいと言われている。政府としては経済的打撃を最小限にするため、早く解除をしろと意見が出ている。しかし山中はシンガポールが一時解除した結果、感染者数が封鎖以前に戻り、封鎖の効果が全くなくなってしまったと言う例もある。これは慎重を期す以外にないとは思う。
 そんな中、山中の携帯に妻のあやこから、電話があった。あやこは今まで一度も仕事中に電話をしてきたことがない。「まさか、お母さんが亡くなったのではないか」。山中の頭の中に悪い予感が横切った。
「どうした?」
こんな忙しい中、何の用だとばかり、ぶっきらぼうに言った。
「今老人ホームから連絡があったわ。お母さん、急に肺炎が悪化して、10分前に亡くなったそうよ」
山中の予感は当たった。 
いろんな思いが交錯して、しばらく言葉が出てこなかった。
「あなた、聞いているの?」
あやこは山中の沈黙に、不安を感じたようだ。
「ああ、聞いているよ」と言った山中の声はかすれていた。
「で、お母さんの遺体は、どうするって、言っているんだ?」
「感染の広がりを防ぐため、すぐに火葬場に送って、遺骨を遺族に返すことになっているそうよ」
「そうか。葬式はできないってことだな」
死の間際、家族に看取ってもらえなかった母親が哀れでならなかった。
「そうね。このコロナ騒動が終わったら、改めてお葬式をする以外ないみたい」
「そうだな。俺も今は身内の葬式だからと言って休める状態ではない」
すると、遠くで「山中さん」と部下が呼んでいる声がした。
「今行く」と、部下の方に向かって答え、あやこには、「今夜でできるだけ早く帰る」と言って、携帯を切った。
 山中はいつもの感染防止対策本部長の顔に戻って、仕事に戻った。
 山中が母親の死を現実として受け止めたのは、遺骨が戻っていた時だった。母親と最後に言葉を交わしたのは、遠い昔のように思えた。
「そうだ。おふくろは、自分の事より、俺のことを心配していたな。おふくろはいつもそうだった。自分の事より、家族を大切にする、古い型の母親だった。俺は、その大切な母親を助けてあげることができなかった」
 山中は、自分の無力さにうちひしがれた。
白い箱に入れられた遺骨がポツンと仏壇の傍に置かれたのを見た時、山中は初めて号泣した。
       
              完 

この物語はフィクションです。
著作権所有者:久保田満里子





 






 

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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