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船旅(19)

部屋に戻ると、光江はバルコニーに出て、船の周りを見た。外はもうすでに暗くなっていて、港が街灯の光に照りだされている。見えるのは出航の準備に追われている港の労働者らしき10人ばかりの男達の姿だけだった。すると突然猛スピードで走って来る黒い人影が、視界に入って来た。その男は光江の乗っているプリンセス号に向かって走っている。男の姿が街灯で照りだされた時、光江はハッとなって、部屋を飛び出した。男は、ニールだった。「ニールが帰って来たんだ」と思うと、嬉しさで胸がはじけそうになりながら、光江は部屋を飛び出ると、船の乗船口に向かって走り出した。
乗船口でニールを見ると、ニールは全速力で走ったせいか、船の縁にある柵に寄りかかってゼーゼーと肩で息をしていた。
「ニール!」と光江が声をかけると、ニールは頭を上げて、光江を見て、ニヤッと笑った。
光江は、ニールを叩きながら、
「もう、帰ってこないのかと思って、心配したのよ」と言うと、
「すまなかった。でももう大丈夫だ」と言って、光江を抱きしめた。
その時、船長が船内アナウンスをする声が聞こえた。
「9時になりますので、錨を上げて、出航します。次の停泊地は横浜です」
「良かった、間に合った。税関で手間取って、イライラさせられたよ」とニールは安堵の声を上げた。
 乗組員が、乗船口を閉めるのを片目に見ながら、ニールが光江の肩を抱いて、二人で船室に戻っていった。
船室の椅子に腰かけると、
「紅茶をくれないか」とニールが言った。光江はきっとアメリカ人ならコーヒーを飲みたがるのだろうけれど、イギリス人のニールは、イギリスのドラマでよく見るように、大事件が起こって心が動揺した時、紅茶を飲みたがるのだろうと、つまらないことを考えた。
ニールは紅茶を一口飲むと、ほっとしたように言った。
「いやあ、ひどい目に遭ったよ。アマンダが殺害されたと警察は断定したんだが、何しろアマンダの所持品が盗まれていなかったから、物取りの犯行ではないと判明したのだが、それだからと言って、アマンダには香港に知り合いもいなくて、容疑者もなかなか浮かび上がらないので、事情聴取と言うことで、警察に連行されたんだよ。携帯を出せと言われて、携帯を出したら、トニーの番号がアマンダの携帯にも入っているので、知り合いだったんだろうと追及されて、これまた話をでっちあげるので、苦労したよ」
「でも、よく警察は解放してくれたわね」
「オーストラリア領事館が乗り出して来てくれてね。弁護士を連れて、領事が会いに来てくれたんだよ。弁護士が確たる証拠もないのに、むやみに拘束するのは違法だと抗議したので、香港警察も僕を一旦解放してくれたんだよ。でも、また新たな証拠が出て来た時には、事情聴取に応じれるように、居所を明確にしたうえで、解放してくれたんだよ」
「そう。だったら、トニーがオーストラリア領事館に手を回してくれたのかもしれないわね。あなたが警察に連れて行かれたと聞いて、どうしたらいいか分からなかったから、あなたが私の携帯に入れてくれていたトニーの携帯番号に連絡して、事情を説明したのよ」
「ありがとう。助かったよ。でも、僕に対する疑いはまだもっているようだから、安心はしていられないんだが。特に中国の公安がアマンダを殺害したとなると、誰かを犯人にでっちあげるのは、目に見えているからね」
「そう。で、アマンダの遺体はどうなるの?」
「アマンダの両親はまだ健在なので、司法解剖した後、ご両親に引き渡されることになるだろうな」
「そう。まだ若いのに、ご両親はつらいでしょうね」
光江は自分の子供達が自分より早く死ぬなんて考えたこともなかったので、もしそんな現実に向き合わされたら、天地がひっくり返ったような気持になるだろうなと、アマンダの両親に対して同情を禁じえなかった。特に、殺されたとなると、その無念さは、一段と深いだろう。
 そう思っていると、大きな汽笛が鳴り、船が動き始めた。もう香港を離れるんだと思うと、安堵のため息がでた。しかし、ニールは何か気がかりが残っているようで、紅茶を飲み干すと、
「ちょっと、出かけて来る」と言って、部屋を出て行った。
ニールの気がかりはリーのことだった。もしかして、リーがこの船に乗っていることが香港の公安に知れて、リーが連れ出されているとすれば、ニールの任務は失敗に終わったと言うことになる。

ちょさ

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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