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岡上理穂さんの物語(8)

どうしてオーストラリアに来ることにしましたか。
ポーランドには行ったり来たりして、通算すると8年住みました。オーストラリアに来たのは、1988年です。ベルリンの壁が崩壊したのが1989年ですから、その直前ですよね。共産圏って物質的な問題だけでなく、ほかにも色々不便なことがあって、子供のことを考えたら自由な国の方がいいなということで来ました。その時色々行き先の候補はあったんだけれど、色んな人種のいる移民の国の方がいいかなということで、オーストラリアに来ることにしたわけです。オーストラリア大使館に行ってビザを申請し、インタビューと健康診断を終えて、永住ビザをもらってきたんです。

シドニーでのお仕事は?
シドニーでは20年以上JTBオーストラリアに勤めてました。JTBに入ったのはもう30年以上前の話だけど、そのころ、旅行業が盛んだった時代だったんですよ。だから旅行会社なら雇ってくれるかなと思いました。旅行会社と言えばJTBくらいしか知らなかったので、JTBに連絡をしたら、対応してくれたのが社長さんだったんです。その社長さんに会いに行ったんですが、その社長さんが、なんとポーランド映画の大フアン。だから採用面接と言うよりも映画の話で盛り上がっちゃって、1時間以上もおしゃべりしちゃいました。今のリクルートの方法からでは考えられないですよね。やっぱり駄目だったかなと思って家に帰ったんだけど、2日後に総務の人から電話をもらって、「採用だから、月曜日から来てください」と言われました。そんなにすぐに決まるとは思わなかったので、慌てました。まだオーストラリアに来て間もない時で、直ぐに仕事に行ける状態ではなかったので「月曜日からは無理です」と言って、総務の人と相談して数ヶ月後からJTBに勤め始めたんです。考えてみれば呑気な時代でした。

ちょさ

シドニー大学で経済学を勉強したと言うことですが、どうして経済学を選んだのですか? 
経済学部の大学院に行ったのですが、専攻したのは経営学です。
最初はいろんな仕事をしていたんだけれど、そのうち総務、人事の仕事をやるようになったんです。でも、総務や人事の知識があるわけではない。何も分からない。会計の人と話してもチンプンカンプンなところがあって、これではいけないと思って、勉強しようと思ったんですよ。最初はマクオリー大学のビジネススクールでGraduate Diploma in Human resources managementと言うのを、かなり苦労をしてとって、その後、もう少し勉強をしようという気になって、シドニー大学の大学院に行ったんですよ。今はシドニー大学にはビジネススクールができて、MBA(経営修士)が採れるのですが、私が行った十数年前までは、MBAはなかったので、経済学部で修士をとったんです。経営学が主流で、ほかに経済学、たとえば、マクロエコノミクスとかも少しやらなくてはいけなくて、ひいひいしました。働きながら、勉強したので、夜学に行きました。たまには週末の集中講義もありましたが、夜のクラスに行きました。仕事の方の出張とうまく合わせることができたので、授業はほとんど全部出席しました。JTBには2015年まで務めました。

 

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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