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アインシュタインの覚書(1)

  アルベルト・アインシュタインは、1922年10月8日、フランスのマルセイユから日本郵船「北野丸」に乗って、妻のエルザと共に日本に向かった。その当時の日本の出版業界きっての立役者、山本実彦に招待されたからだ。100年近くたった今、山本実彦と言われても、ピンとくる人はほとんどいないと思うが、山本は志賀直哉の「暗夜行路」や林芙美子の「放浪記」などの名作を記載した総合雑誌「改造」の社長だった。アインシュタインが山本の招きに応じたのは、小泉八雲ことラフカディオ・ハーンの書いている美しい日本を実際に自分の目で確かめたかったからだ。アインシュタインからそのことを聞いた山本は、アインシュタインが日本で開催することになっている8回の講演の合間に、松島や宮島の観光と、能などの伝統芸能を堪能してもらうスケジュールを組んでいた。そのことを知らされてアインシュタインは日本行きを楽しみにしていた。
 マルセイユから出発した船が香港から上海に向かう途上、アインシュタインのもとに電報が届いた。それは1921年度のノーベル物理学賞の受賞の電報だった。このニュースを聞いて、アインシュタインはほっとした。というのも、前妻、ミレーヴァと離婚する時の条件として、その受賞でもらったお金を前妻に渡すという約束をしていたからだ。これで、前妻との腐れ縁が切れると思うと、少し気が楽になったのだ。熱烈な恋愛結婚をした相手だったが、別れる前は、喧嘩が絶えなかった。それと言うのも、その頃現在の妻で、アインシュタインの従妹にあたるエルザとの仲が取りざたされていたからだ。
 「北野丸」は11月17日午後4時に神戸に着くと、山本実彦夫妻とともに、アインシュタインと面識があった東北帝国大学元教授の石原純をはじめとする有名大学の教授たちから出迎えを受けた。アインシュタインは、その1時間後三宮駅発の電車に乗るために、港から駅に向かったのだが、その道中、道路の両脇は、アインシュタインのノーベル賞受賞のニュースを聞いた新聞記者や一般市民が、一目アインシュタインを見ようと押しかけていて、まるで凱旋行進のような趣があり、驚いてしまった。その夜は京都の都ホテルに泊まり、翌日東京に向かったが、東京駅の前にも人盛りができて、まるでスターのような扱いを受け、アインシュタインは戸惑ってしまった。その晩泊る帝国ホテルへ向かう沿道でも、人の群れで、アインシュタインが乗った車がなかなか前に進めなかったくらいだ。
(続く)

著作権所有者:久保田満里子

 

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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