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木曜島の潜水夫(4)

 藤井富太郎たちは、グーズ島で、検疫のため長い期間留められたが、その間に船酔いで苦しんでいた者たちもすっかり元気を取り戻した。「地獄から天国に来た感じだ」と、船酔いで苦しめられた同行の者達が晴れ晴れした顔で言うのが見かけられた。無事、全員検疫が済み、富太郎たちが木曜島に着いたのは1925年4月1日のことだった。その時木曜島には172人潜水夫がいたが、そのうち171人が日本人だった。
 オーストラリアは南半球にあるので4月は秋だが、熱帯にある木曜島は、年中気温が高く、昼間は30度前後、夜は25度前後と暑かった。木曜島で下船した富太郎は、ぎらぎら照り付ける太陽で、一瞬めまいがしそうだった。
 富太郎は他の同行者と同様、英語はさっぱり分からなかったが、木曜島には日本人会があり、日本人会の青年部の若者が迎えに来てくれ、島の案内をしてくれた。
 島の小高い丘から眺める木曜島は、島の周りはパステル色の青色に縁どられ、その周りをコバルト色の海が囲み、美しかった。
 島は「ビジネス街」と「ジャップタウン」あるいは「リトル横浜」と呼ばれる二つの地域に分かれていた。ビジネス街にはホテルが6軒あり、中国人の経営する雑貨屋、宝石店、銀行、野外映画館などがあり、町の様相を呈していたが、「リトル横浜」は道路も舗装されておらず、トタン屋根のみすぼらしい家が立ち並ぶ貧民窟で、貧富の差が際立っていた。「リトル横浜」には、お金を手に入れた潜水夫達を目当てに、日本人の経営する売春宿や賭博場があった。売春宿には貧しい日本の農村から売られて来た「唐ユキさん」と呼ばれる女たちがいた。賭博と言っても、ルーレットなどのしゃれたものではなく、花札と、カイカイと呼ばれる20枚の木のタイルを使った物だった。賭け場には、金のある日本人の潜水夫だけでなく、中国人の商人、白人、そのほかいろんな人種が、一攫千金を夢見て集まって来た。
 「リトル横浜」には真珠貝採取関係の労働者のための寄宿舎が8つあった。寄宿舎の名前は「串本ハウス」、「上野(うわの)ハウス」「出雲ハウス」 「須佐美ハウス」「宇久井ハウス」「三輪崎ハウス」「伊予ハウス」と「広島ハウス」と言い、8つのうち4つが和歌山の地域名であることからも分かるように、潜水夫の多くは和歌山県出身であった。富太郎は、出身地の串本ハウスに入れられた。
 富太郎が与えられたのは、6人の相部屋で、部屋の片隅に、故郷から持って来た柳行李を置き、わずかな着替えなどを取り出した。島には電気は通っていなかったので、夜になると、ろうそくの灯りだけが頼りだった。ちなみに島に電気が通ったのは1931年で、富太郎が島に来て6年ものちのことである。
 この木曜島に着いた時点で、富太郎は、外国人にも名前を呼びやすいようにトミーと呼ばれるようになった。これから以降は藤井富太郎をトミーと言う名前で紹介していきたい。
 トミーは最初ヨーロッパ人の経営するシンクレア会社に雇われた。トミーが乗り込むことになった船には5人の乗組員がいた。船の中では、潜水夫が一番のボスで、軍隊並みの規律が設けられ、潜水夫の言うことは絶対だった。そして二番目は見習い潜水夫、潜水夫に空気を送る見張り人、船の操縦をするエンジンマン、料理人と続き、料理人として雇われたトミーは、乗組員の中で一番の下っ端だった。トミーの仕事は過酷であった。毎日揺れる船の上で、ご飯を炊き、魚を釣って刺身にし、しょうゆをかけた食事を作った。魚を処理した後、魚の内臓を海に捨てると、それが誘い水になって、鮫が寄って来て、鮫に襲われることもあった。それだけでも重労働だが、料理人の仕事はそれだけではなかった。デッキを洗い、採取された貝を洗うのもトミーの仕事だった。船に上げられた貝をナイフでこじ開けて、中に真珠がないか調べ、貝の身は海に捨てる。美しい貝殻が高級ボタンの原料として高額で売れたので、貝殻が目当てで、真珠貝を採取したのは、先に言ったとおりである。下働きのトミーの仕事は、それだけではなかった。誰よりも早く起きて料理を作るのは勿論、その他に潜水服を洗ったり、備品を洗ったりと重労働をこなしていかなくてはいけなかった。宇宙服のように見える潜水服はゴム製で、50キロもある。だから一言で潜水服の洗濯と言って容易なことではない。潜水服の袖に石鹸を塗って潜水夫が着やすくするのもトミーの役目だった。朝4時から夕暮れの6時まで働かされ、睡眠時間も十分にとれなかった。1月14日から3月14日は真珠貝採取は休止となり、他の乗組員は上陸するのだが、料理人は船の見張りのため、下船することができず、狭い船の上で寝泊まりしなくてはいけなかった。勿論給料は乗組員の中で最低で、はじめは10-20ポンドしかもらえなかった。それでも最低賃金の5ポンドよりはましだった。

ちょさ

 

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本当にめちゃめちゃ楽しかったです

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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