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木曜島の潜水夫(21)

トミーのヘイ収容所は、思ったほどひどくなかった。抑留者自治運営委員会が作られ、抑留者はかなりの自由を与えられ、それぞれ手分けをして、身の回りのことをした。トミーは、庭仕事と料理を担当した。トミーがオーストラリアでした初めての仕事は、料理人だったので、料理を作るのは苦にならなかった。
 朝はパンと紅茶、昼はカレーライス、夜はステーキなどの肉料理。その他に、午前10時と午後3時には、ビスケットと紅茶が出た。食べるものがふんだんに出され、空腹を覚えることはなかった。収容所に入って、運動もせず、食べてばかりいるので、肉付きが良くなった者が多くなった。
 トミーにとって、今ではオーストラリアが自分の住処である。日本軍にオーストラリアが占領されることは、日本人ではあっても脅威であった。誰からともなく、「日本軍に占領されたら、コメがなくなるんじゃないか」と言う噂が流れ始めた。日本人にとってお米が食べられないと言うことは、重大事である。料理当番になった時、トミーは時々少し米をちょろまかして、自分のベッドの下に隠したが、その度に、衛兵の小屋の定期的な点検で見つけられた。初めて見つかった時は、懲罰を受けるのではないかと緊張したが、衛兵は笑いながら、「米はたくさんあるから、隠さなくても大丈夫だよ」と言いながら、米を没収し、懲罰を受けなかったので、それに味を占めて、それからも時々米を隠した。
 収容所では、皆で鳥や豚を飼い、畑を作って、野菜や卵などの自給自足をはかって、オーストラリア政府からは模範的な収容所とみなされた。野菜作りや家畜の世話をする等して、一日8時間働いたら、7ペンス半もらえた。料理人も同様な手当てが出たので、トミーはその小銭を持って、売店でこまごまとした日用品やたばこを買うことが出来た。時々収容所のパドックのくい打ちや運搬用道路の補修に参加した。収容所の外に出る時は、戦争捕虜と背中に書かれた制服を着なければならず、監視の兵に見張られながら、仕事をした。
 2月末になって、トミーはジョセフィーンから初めて手紙を受け取った。ジョセフィーンの近況を知りたくて、封を切るのももどかしく封筒を破り、トミーはむさぼるように手紙を読んだ。その手紙で、トミーはジョセフィーンが無事だったことを知り、安堵のため息をついた。しかし身重のジョセフィーンがアイロンがけの仕事をしていると言う知らせは、心を重くした。結婚する時、あれほどジョセフィーンを幸せにすると誓ったのに、その約束が守られず、不甲斐ない思いに胸が締め付けられた。

ちょさ

 

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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