木曜島の潜水夫(23)
更新日: 2023-11-09
5月になって、トミーに嬉しい知らせが届いた。ジョセフィーンが男の子を出産したのである。ジョセフィーンはラッセルと言う名前をつけたいと言い、トミーは、アキラと言う名前を考えた。 ラッセル・アキラ・フジイの誕生である。トミーは、息子に会える日を待ち焦がれるようになった。それから時折来るようになったジョセフィーンの手紙を心待ちにした。ある時ジョセフィーンから送られて来た封筒の中に、珠代の写真が入っていた。食い入るように珠代の写真を見た後、トミーは肌身離さず、その写真を持ち歩いた。そして時おり写真を出しては眺めては、早く家族と一緒に暮らせる日が来ることを祈った。1942年8月になると、日本とオーストラリアの捕虜交換が決まり、商社の駐在員達は帰国することになり、収容所を出て行った。ヘイ収容所は、6月には新たに入所した5人の戦争捕虜と、その前からいた南忠男の6名の戦争捕虜と、真珠貝産業関係者だけになった。そして9月にはもう一人新たに戦争捕虜をが入所してきた。この新参者の戦争捕虜は少尉だったので、威張り散らし、真珠貝潜水夫などを見下す傾向にあった。それを快く思っていなかった気の荒い真珠貝潜水夫が、「捕虜のくせに大きな口をたたくな!」と少尉を罵ったものだから、「なんだと!」と顔色を変えて立ち上がった少尉との間で、今にも殴り合いのけんかが起こりそうになった。その仲介に入ったのが、安井と南だった。南は「ここのところは自分に免じて勘弁してくれ。今度こういうことがあったら自分が責任をもって処分するから」と潜水夫を宥め、何とか殴り合いのけんかは避けられた。しかし、その後も民間人である潜水夫たちと、戦争捕虜との間には溝があった。その反目は1943年1月8日、戦争捕虜たちが、カウラ収容所に移送されるまで続いた。
ちょさ
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