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木曜島の潜水夫(30)

1952年から56年にかけて、真珠貝の需要が減り始め、錦渦貝と呼ばれる海に生息するカタツムリの一種が真珠貝にとって代わり始めた。この貝は主にワイシャツのボタンに使われ、マダガスカル沖のアフリカ沿岸が主要な産地だった。真珠貝が売れなくなると、真珠産業が盛んになり始めた。アジアの移民を真珠産業に従事させようとするオーストラリア政府の政策に反対して、1952年は島人はストライキを起こした。しかし、1958年、日本の真珠会社は、島人の反対にも関わらず、有能な日本人の潜水夫を雇用したいと思い、200人の日本人の潜水夫を雇い入れた。これはオーストラリア政府の後押しもあり、政府から12万ドルの補助金をもらい、潜水用具や宿泊所も準備した。しかし日本政府が送って来た潜水夫の106人は、今までのように和歌山からではなく、沖縄から送られてきた。それと言うのも、その頃沖縄はまだ米国の占領地として米国と同様に扱われていたためである。つまり、第二次大戦の敵国の日本からの移民とはみなされなかったからだ。しかし皆浅瀬専門の潜水夫で深海での潜水の訓練を受けていない者達ばかりだった。トミーはその時通訳を頼まれ、その沖縄からの潜水夫と知り合ったが、そのうち3人が潜水病で亡くなると言う悲劇に終わった。顔見知りだった潜水夫の訃報を聞くたびに、トミーは潜水病で死んだ弟の寿一のことを思い出し、胸が痛んだ。その収穫期が終わると、沖縄から来た男たちは、ほとんど日本に引き揚げてしまった。引き上げる時、一人の男がこぼしたことがトミーの心に残った。「ここでは、肉はたくさんくれるけれど、野菜も果物もない。ひどい食事を食べさせられた。毎日肉とご飯だけでは、体が持たない」。魚中心の食生活に慣れた日本人にとって、肉中心の生活はきつかったようである。

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プロフィール

2008年よりメルボルンを舞台にした小説の執筆を始める。2009年7月よりヴィクトリア日本クラブのニュースレターにも短編を発表している。 2012年3月「短編小説集 オーストラリア メルボルン発」をブイツーソリューション、星雲社より出版。amazon.co.jpで、好評発売中。

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